73年前12月8日,日本は米国の真珠湾を攻撃し,4年間に及ぶ泥沼の太平洋戦争に突入しました。 出撃の地となった択捉(えとろふ)島の元島民 は当時とその後を振り返り,戦争にもてあそばれた年月の長さを痛感しています。
芽室上美生(かみびせい)中学校で11月25日に行われた「北方領土学習」では,元島民で帯広市に住む安田愛子さんが,「村は自然が豊かで,平和だった。」と1年生6人に語り掛けました。
芽室町立上美生中学校=2018年5月撮影 十勝毎日新聞が,
「真珠湾攻撃出撃の地,択捉島 記憶語り継ぐ元島民」 と伝えています。
【十勝】73年前のきょう12月8日,日本は米国の真珠湾を攻撃し,4年間に及ぶ泥沼の太平洋戦争に突入した。出撃の地となった択捉島の元島民は当時とその後を振り返り,戦争にもてあそばれた年月の長さを痛感する。
芽室上美生中で11月25日に行われた「北方領土学習」。元島民で帯広市に住む安田愛子さん(75)は1年生6人に語り掛けた。「村は自然が豊かで,平和だった。島を古里と決めた人たちは,明るい希望を持って生活していた」
同島蘂取(しべとろ)村出身の安田さんの記憶にある島での暮らしは,つつましくも穏やかなものだった。秋になるとサケ漁の出稼ぎ労働者で活気づき,漁が終わればまた元の静けさに。小学校の運動会や村祭りが一番の娯楽で,大人も子供も一緒に楽しんだ。
同島紗那(しゃな)村出身の帯広市在住,武田政子さん(81)は「生活は質素だが,食べるのには困らなかった」と振り返る。山に行けば山菜やコケモモなどがあり,畑では必要十分な野菜が取れた。秋には翌春までの米を買い付け,どこの家にも米俵が積んであった。「親は苦労していたかもしれないが,私自身は北海道に引き揚げるまでひもじい思いをした記憶がない」
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以上引用:十勝毎日新聞社ニュース/2014年12月8日 13時56分の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201412/20141208-0019867.php