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本別で作詞家吉川静夫氏の企画展

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本別町歴史民俗資料館=2014年1月撮影


 本別町栄町の白石聖二さんが、 本別ゆかりの作詞家吉川静夫氏 の顕彰活動に力を入れています。
 地元での聞き取りや資料集めを地道に続け、町歴史民俗資料館に提案して企画展「作詞家・吉川静夫と本別」開催のきっかけをつくりました。6月7日は資料館で吉川さんの業績や作品に触れるレコードを聴く会が開かれます。


 私(ブログ作成者)も本別高校に通っている3年間、吉川静夫氏が作詞した「本別高校校歌」を何度も歌いました。すると、あの大作詞家の存在が、とても身近に感じられました。


本別町歴史民俗資料館企画展「作詞家・吉川静夫とほんべつ」
◇期間:5月13日(火)~6月21日(土)
 ※日・月曜日・祝日は休館
◇会場:本別町歴史民俗資料館
◇入館料:無料


 十勝毎日新聞が, 「作詞家吉川静夫の顕彰に力 本別の白石さん」 と伝えています。


 【本別】町栄町の白石聖二さん(68)が、本別ゆかりの作詞家吉川静夫さんの顕彰活動に力を入れている。地元での聞き取りや資料集めを地道に続け、町歴史民俗資料館に提案して企画展「作詞家・吉川静夫と本別」(21日まで)開催のきっかけをつくった。7日は同資料館で吉川さんの業績や作品に触れるレコードを聴く会が開かれる。


 吉川さんは十勝での教諭時代に作詞活動を始め、東京でビクターレコードの専属作詞家として活躍。上京前に尋常小学校の教諭、校長として12年間勤務したのが本別だった。


 白石さんは「とかち昭和歌謡の会」に所属する中で、十勝から出て活躍した音楽家で幕別町出身の作曲家万城目正、音更町ゆかりの作曲家伊福部昭に並び吉川さんの存在を知った。3年ほど前、本格的に資料集めを始めた。


-略-


 25歳の若さで町内の美蘭別尋常小学校所属特別教授場の校長になった吉川さんは、徴兵された中国戦線からの復員後、突然作詞家になるために上京した。「当時は(国家主義的な色彩が強い)国民学校に移る中で、戦争が嫌いな吉川先生には葛藤があったのでは。生き方から芯の強さと優しさを感じる」と話す。一方、東京ではネオン街の男女を題材にした歌から本別町歌や本別高校校歌まで幅広い歌を作り、「感性の鋭い人だった」と語った。

 

-略-


(安田義教)
<吉川静夫(よしかわ・しずお)>
 1907~99年。帯広出身。旭川の師範学校を卒業後、更別や本別の尋常小学校で教諭として勤務した。42年に上京して作詞家になり、青江三奈さんのヒット曲「池袋の夜」、森進一さんのデビュー曲「女のためいき」などを生んだ。本別町歌や大帯廣市歌、本別高校校歌なども手掛けた。


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版 =2014年06月01日の記事


by hombetu | 2014-06-11 06:07 | 本別町の様子 | Comments(0)
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