
米軍機が撮影した本別市街=本別歴史民俗資料館提供
このほど、戦争史研究の
西田秀子さん(江別市在住)=が、1945年7月15日の
「本別空襲」について
本別は最初から標的に入っていた とする研究調査を発表しました。
米軍資料を基に、「本別が狙われたのは誤爆や偶然ではなく、
亜麻工場が軍需工場として攻撃目標に挙げられていたため」としています。
本別町農協倉庫の銃弾跡(部分)=2014年1月撮影 十勝毎日新聞が、
「本別は最初から空襲の標的」 と伝えています。
第2次世界大戦で十勝に最大規模の被害をもたらした「本別空襲」(1945年7月15日)について、戦争史研究の西田秀子さん(61)=江別市在住=が、「本別は最初からターゲット(標的)リストに入っていた」とする研究調査を発表した。米軍資料を基に、「本別が狙われたのは誤爆や偶然ではなく、亜麻工場が軍需工場として攻撃目標に挙げられていたため」としている。
本別空襲はこれまで、帯広への攻撃を悪天候で断念し、雲の切れ間から発見した本別の市街地を攻撃したとの説が有力とされてきた。
研究調査は、「えべつの歴史」第14号(3月16日発行)に掲載された「米軍資料から見た北海道空襲−江別の場合−」の中で紹介している。
西田さんは、江別や札幌、千歳の市史を執筆するなど、長年にわたり北海道史や戦争史を研究している。現在は江別市文化財保護委員。北海道空襲に関する歴史研究の第一人者とされる音更町出身の松本尚志さん(故人)と親交があったことから、以前から本別空襲にも関心を寄せていた。
西田さんは2008年、米国公立文書館が期間限定で公開した「AIR TARGET−JAPANESE WAR(対日戦争−空爆標的リスト)」のうち、道内関係分を入手。米軍偵察機による偵察写真と標的リストを基に、空爆の「計画」を検証した。
標的リストには港湾、発電所、石油精製所、陸海軍の飛行場、鉄道など道内約130カ所が記載され、この中に本別、帯広、池田、芽室を含む亜麻工場13カ所もあった。本別の亜麻工場は標的番号「1579」で、「Pombetsu Linen Plant(ポンベツ リネン プラント)」として緯度や経度も記されている。各地の亜麻工場では当時、軍服や軍用テント、ロープの原材料を製造していた。
西田さんは「地元住民からすれば意外な標的だが、これも軍事目標だった。米軍の圧倒的な情報収集能力と緻密な計画、高い実行力が分かる。亜麻工場に続いて市街地を攻撃しているのは、米軍が無差別爆撃に傾斜していたことを示している」と指摘している。
「どちらも正しい」
本別空襲に関してはこれまでも、亜麻工場以外に軍馬補充部十勝支部(仙美里)、スパイの存在などさまざまなターゲットの説が存在している。本別高校元教諭で戦争史に詳しい蓑口一哲さん(現帯広農業高教諭)は「空爆の作戦は毎日変わる。亜麻工場を狙ったのか、雲が晴れていたから本別を狙ったのか、いろいろな考えが成り立つ中の一つの説で、どちらも正しいと思う」と話している。
【本別空襲】 「記録 本別空襲」などによると、1945年7月15日午前8時20分ごろから50分間近くにわたり、米軍機43機による銃爆撃を受けた。死者40人、被災者1915人。家屋は279戸が全焼し、113戸が大破した。
以上引用:十勝毎日新聞社ニュース・めーる 2012年04月14日の記事http://www.tokachimail.com/honbetsu/