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帯南商・伊関選手Vリーグの日立リヴァーレへ

 帯広南商業高校 バレーボール部の主将・伊関悠選手(3年)が、来春、Vチャレンジリーグ所属の日立リヴァーレに入団することが内定しました。
 十勝出身のVリーグ選手は、プレミア、チャレンジ通して、男子チャレンジリーグの東京ヴェルディでプレーする中西了将選手(法大、東海大四高、帯二中出)、女子同の元柏エンゼルクロスの渋谷桃子選手(道教大函館、帯南商高出)以来3人目になります。
 伊関選手は豊頃町出身で、茂岩小5年から地元の少年団・豊頃ランバースでバレーボールを始めました。豊頃中2年の時に、全道中体連で準優勝を果たし全国中学校大会に出場。少年団、中学生時代は主にレフトでアタッカーとして活躍しましたが、中学3年のときに北海道選抜の一員として出場したJOCジュニアオリンピックカップ全国都道府県対抗中学大会ではリベロを務めました。
 帯南商高進学後は1年生からレフトで活躍。2年生の春から主将に就き、同年の新人チームからリベロに転向しました。今年は3月の春高バレーに出場。6月の全道高体連は同校初の全道制覇の原動力となり、インターハイ出場を果たしました。10月の千葉国体では、北海道選抜の主将としてチームをけん引しました。

《参考:日立リヴァーレ》
 日立リヴァーレ(ひたちリヴァーレ)は、茨城県ひたちなか市を本拠地とする、日立オートモティブシステムズの女子バレーボールチームである。Vチャレンジリーグに所属。リヴァーレとは、イタリア語でライバルを意味する。2001年に廃部となった日立ベルフィーユとは別の系譜。
歴史 [編集]
 1980年11月に日立佐和として創部。1980-1981年第1回東部地域リーグからスタートするも、6チーム参加の最下位(5戦全敗)となる。1982-1983年に復帰。1985-1986年に、実業団リーグ(現・チャレンジリーグ 旧V1リーグ)に昇格を果たすが、その後は2度(1986-1987年、1996-1997年)の東部地域リーグ降格を経験するなど、実業団リーグで好成績を収められなかった。
 1996-1997年東部地域リーグ優勝後はチーム力をアップさせ、1998-1999年Vリーグ(現・プレミアリーグ)昇格を果たすまでに成長。しかし、トップクラスの壁が厚くわずか2シーズンで、V1リーグ(現・チャレンジリーグ)降格。2001-2002年、同リーグで優勝し、 2002-2003年Vリーグに復帰した。
 女子Vリーグの茂原アルカスが、2006年5月で廃部になった為、日立製作所関連のバレーボールチームは、日立佐和が男女合わせて唯一のチームとなった[1]。
 2008-2009年シーズンは全敗を喫して最下位となり、2009年4月のVチャレンジマッチ(入れ替え戦)で敗れ、8シーズンぶりにチャレンジリーグに降格となった。
 2010年4月、チーム名称をこれまでの日立佐和リヴァーレから日立リヴァーレに変更した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AB%8B%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC
by hombetu | 2010-11-19 22:36 | 活躍しています | Comments(0)
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