3人の池田高校出身選手が、カナダ・バンクーバー五輪に決定しています。
2010年2月のカナダ・バンクーバー五輪のスピードスケート男子500メートルで、池田高出身の太田明生(JR北海道)、及川佑(びっくりドンキー)両選手の日本代表入りが決定し、すでに内定の長島圭一郎選手(日本電産サンキョー−日大)と合わせて3選手が夢の舞台に挑むことになりました。地元池田町では12月29日に早くも懸垂幕を掲げて祝福、激励の声が広がっています。
 町役場では役場有志による「長島・及川を応援する会」、池田高同窓会、同スケート部OB会が長島、及川両選手の出場確定を祝う高さ8メートル、幅90センチの懸垂幕を製作。29日朝に役場玄関横に掲げた。太田選手の分も発注しました。
 池田町は、カナダ・ペンティクトン市と姉妹都市にあり、3選手には励みになりそうです。

 また、スピードスケート競技日本代表19人(男子10人、女子9人)の中で十勝勢は同競技日本初の中学生選手となる高木美帆(札内中3年)ら女子2人、男子8人の計10人。過去最多だった前回(2006年・トリノ)と同数、今回の日本代表の過半数を占め、スケート王国・十勝の力を発揮しています。2009年8月にオープンした屋内スケート場「明治北海道十勝オーバル」で調整に成功した管内選手の躍進が目立ち、新リンクの成果が証明しているようです。
 2大会目の出場は長島圭一郎ら4人、高木、羽賀亮平(日大)、石澤志穂(岸本医科学研究所)ら6人が初出場です。出身高校別では白樺学園高出身5人、池田高出身3人。帯広で初の実業団・開西病院チームの土井槙悟、平子裕基の2人も初出場を遂げ、明治オーバルを拠点にした地元社会人の活躍も注目されます。

【スピードスケート男子オリンピック代表】
▽500m  加藤条治(日本電産サンキョー)、長島圭一郎(同)、及川及川佑(びっくりドンキー)、太田明生(JR北海道)
▽1000m 小原唯志(網走郡美幌町・白樺学園出身/日本電産サンキョー)、羽賀亮平(帯広市・白樺学園出身/日大)、杉森輝大(大樹町・白樺学園出身/吉羽木材)長島
▽1500m 土井槙悟(芽室町・白樺学園出身/開西病院)、杉森
▽5000m 平子裕基(音更町・白樺学園出身/開西病院)、出島茂幸(釧路市・釧商業高出身/釧路十六銀行)
▽1万m  平子
▽団体追い抜き 杉森、土井、平子、出島
写真:明治北海道十勝オーバル
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 12月5日(土)~6日(日)に江別市で行われたバレーボールの全道大会で、本別中央小は3位に入賞しました。
 本別小学校の女子バレーボールチーム「本別中央ジャンプスポーツ少年団」は、十勝地区代表として、江別市の北海道立野幌運動公園メインアリーナ・サブアリーナで行われた北海道スポーツ少年団バレーボール交流大会に出場。予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメントに進出。
★決勝トーナメント1回戦で、「北見チーム」と対戦し
  セットカウント2対1(18-21 21-15 21-12)
で逆転勝利。
★準決勝では、「釧路鳥取フェニックスバレーボールスポーツ少年団」と対戦し、
  セットカウント0対2(4-2114-21)で、
惜しくも敗れました。第1セットは、鳥取の攻撃の流れのままにセットを失いましたが、続く第2セットは本別中央がサービスエースなどでリードしました。しかし、中盤以降は、鳥取の攻撃力が勝り、逆転され勝利を手にすることができませんでした。
 しかし、全道大会で、堂々の3位。メンバーは、8日(火)、町役場を訪問し、高橋正夫町長と澤田満教育長に健闘の報告をしました。
 なお、優勝は、セットカウント2-0(22-20 21-10)で釧路鳥取を破った、「富良野小ジュニアスポーツ少年団」でした。
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 本別高校の蓑口先生が、中国へ取材旅行に出発します。
 太平洋戦争における日本兵の玉砕をテーマに戦争資料をまとめている本別高校教諭の蓑口一哲さん(帯広市在住)が、12月28日(月)から13日間の日程で中国南西部の雲南省に滞在し、旧陸軍第56師団の足跡をたどります。渡航に先立ち、遺族や関係者らの証言を集めており、蓑口教諭は「北ビルマ(ミャンマー)に関する証言を参考にするため、ぜひ情報提供を」と呼び掛けています。
 蓑口教諭は、風化しつつある戦争体験を語り継ぐため、2002年からかつての戦場に赴き、体験者の証言に基づきながら戦争当時を追体験しつつ戦争資料をまとめています。すでに中東やアジアを中心に約30カ国を訪問し、今夏にはペリリュー島(パラオ共和国)でも戦争取材しました。
 今回の中国旅行は、昨年、ミャンマーで取材したインパール作戦に関係し、中国側に入った日本兵についての取材する計画と言います。

《参考:拉孟・騰越の戦い》
拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟・騰越地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した当初の1942年頃は中国軍に対して優位に立っていたが、援蒋ルート遮断後も空輸によって中国軍への支援が継続されたため、連合軍の指導によって近代的な兵力を身につけた中国軍が1944年より反撃に転じ、数に劣る日本軍は圧倒される。日本軍は補給路を断たれ孤立し、撤退命令も出ず、また救援部隊も送られなかったため、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕した。硫黄島などの孤島において玉砕したケースは多いが、この戦いは大陸において玉砕した珍しいケースとして知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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 11月30日(月)、「十勝地域づくり連携会議」の東十勝ブロック会議が、本別町体育館で開かれ、本別、足寄、陸別、池田、浦幌、豊頃6町の町長らが「道東道開通を見据えた観光戦略」について意見を交換しました。
 この日は関係6町長と竹林孝十勝支庁長、鎌田貢次帯開建部長が意見交換をして、道東道に関係する各町の現状や課題を述べ、東十勝における修学旅行誘致の促進やそれぞれの観光資源の活用策として、連携の重要性を確認しました。
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 11月24日(木)、高橋利勝副議長を委員長とする町議会活性化等調査特別委員会は、議員定数を現行15から3減の12とすることを決めました。
 この日の特別委員会で、高橋委員長が各委員の意見をまとめて、「3減が妥当」とする委員長案を提案し、採決の結果、賛成多数(賛成10、反対3)で可決しました。

  これに先立つ7月14日に発表された、町民アンケートでは、議員定数に関して、法定上限の「18人」を下回る現行定数「15」であることについて、「現状でよい」(62人、20%)、「増やすべき」(3人、1%)との回答が低調だったのに対し、「削減すべき」との回答は67%(206人)との多数でした。
 この206人うち、妥当な削減数が「3人以上」と回答したのは117人、「2人」は77人、「1人」は9人、「不明」3人と、現行の定数から大幅削減を望む声が多かった背景があります。
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 なお、現在の15人の町議会議員は2006年(平成18年)7月29日の選挙で当選し、任期は、同年8月10日~2010年(平成22年)8月9日の4年間となっています。
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 11月17日(火)、りくべつ宇宙地球科学館・銀河の森天文台(陸別町宇遠別)で、しし座流星群観望会が開かれました。残念ながら、この日の夜は,空が曇っていて流星群は観測できなかったため、しし座流星群の説明会で過ごしました。同天文台の筧伸浩主任が流星の成り立ちや、最近のしし座流星群の発生状況などを解説しました。
 しし座流星群は、多い時には1時間に数千個を超えるような流星嵐となる流星群です。
 今年2009年のしし座流星群は、2001年の流星嵐には及びませんが、11月18日の明け方の空が明るくなる直前の時間帯に、流星数が増加していくことが期待されていました。

 なお、同天文台では12月12日(土)・13日(日)の2日間、ふたご座流星群観望会を計画しています。12月中旬は三大流星群の1つふたご座流星群の季節です。今年は月明かりも少ない絶好の流れ星観察日和で、多ければ1時間に50個くらい流れると予想されています。

《参考:年間三大流星群》 「しぶんぎ座流星群」(毎年1月1日頃から1月5日頃に出現)、「ペルセウス座流星群」(7月20日頃から8月20日頃にかけて出現)と「ふたご座流星群」(12月5日頃から12月20日頃にかけて出現)の流星群です。
《参考:銀河の森天文台》 陸別町は、環境庁から昭和62年度に「星空の街」に選定され、さらに平成9年度には「星空にやさしい街10選」に認定されました。「りくべつ宇宙地球科学館(「愛称:銀河の森天文台)」はこの特性を活かし建設されたものです。公開型天文台としては日本一の115cm反射望遠鏡が設置され、屋上に小型望遠鏡4基・屋外に太陽観測専用望遠鏡などが設置されています。展示室ではパネル展・宇宙の体験学習ができます。(出典:どうしんウェッブ)

銀河の森天文台URL…http://www.rikubetsu.jp/tenmon/

地図 赤☆印…銀河の森天文台

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 「義経山」を再び観光名所に と、野田仁氏が会長を務める本別町観光協会は、現地調査を行いました。
 2003年(平成15年)の十勝沖地震により、義経山一帯では、岩や洞穴が部分的に崩れたり、その後の大雨により登山道が消失する事態に至っていました。
 私(ブログ作成者)は、小学生の頃、毎年のように、遠足で現在の「義経の里本別公園」である「夏川公園」に出かけ、途中で「弁慶洞」を覗いたり、先生から「あれが、義経山ですよ」と説明されたりしたことが思い出されます。当時、義経山と弁慶洞は、夏川公園に隣接し、本別唯一の観光スポットでした。
 今回は、野田会長ら理事のほか、高橋町長、砂原副町長、澤田教育長、義経山に詳しい町民有志や町歴史民俗資料館スタッフら約20人が参加して、大沼地先から平(たいらの)広場までの約2kmを歩き、登山道や観光資源の所在・現状を確認しました。その結果、部分的な崩落や落石も確認されました。しかし、登山道や展望施設からの眺望も良く、観光資源としての価値は充分との見解を出すに至りました。

《参考:「義経伝説不死伝説 」》
 後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、源義経北行説と呼んでいる。この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷の日高ピラトリ(現 北海道平取町)に義経神社が創建された。b0171771_048296.jpg
 義経の戦術は奇襲攻撃が多く、アイヌの人々の狩りのやり方によく似ていた。(中略)
 このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地(北海道)のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
 これに基づき、北海道の本別町では義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。現在では土砂崩れなどの危険もあり、弁慶洞については直接進入するのは難しいため、地上から見上げる形で観察することが出来る。

《参考:義経=ジンギスカン説》
 この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。
(以上 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
写真:本別公園に立つ源義経像
地図 赤☆印…義経山  青☆印…弁慶洞

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 11月21日(土)午後2時、道横断自動車道(道東道)本別IC-浦幌IC間の延長8kmが開通しました。午前10時から、石川知裕、鈴木宗男両衆院議員ら来賓を含む約150人が出席して、町農業団地センターで式典が行われました
 本別ICから釧路方面に8kmの浦幌町栄穂地区に位置する浦幌ICまでは、暫定2車線の対面通行(一部4車線)になります。国の事業である新直轄事業で整備されている本別-釧路間(延長65km)の中で初めての開通になります。浦幌ICは国道274号から町道東14線に200m入ったところに出入り口があります。 当初、浦幌ICは本別-釧路間の計画にはありませんでしたが、今年になって追加設置が決まりました。設置場所の浦幌町栄穂は農家の集落があり、生乳など農産物の流通をはじめとした地域振興を目的に、同町が国に設置を申請し、認められました。
 浦幌IC-本別IC間は無料。同区間の供用開始で、本別-釧路間の整備率は12.3%となります。本別-釧路間の供用開始は「平成20年代後半」を予定しています。

 《地図》赤☆印浦幌IC  青☆印本別IC  花印道東道延長部分
なお、地図では、道東道の本別IC-浦幌ICが予定区間になっています。新しい地図ができ次第、更新します。

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 11月14日(土)、建設中だった観光情報センターが、供用開始しました。
 銀河線廃止後の旧岡女堂駅の周辺整備を兼ね、トイレと観光情報の発信施設、駐車場を一体的に整備したものです。センターは、共栄の国道242号沿いと本別市街地の南の玄関口に位置する立地を生かし、ドライバーや観光客に本別の見どころなどをPRしていきます。設置されたトイレは、多目的型も含め24時間利用でき、広い駐車場には大型バス3台と乗用車22台、身障者用1台分を確保し、南側約50メートルの高台にある十勝豆工房岡女堂本家や飲食店などに連絡する通路も設けられました。
 センター内部には52インチ大型液晶画面とタッチパネル式の情報端末が置かれ、映像で本別の特産品や宿泊施設などを紹介します。また、名所・観光地入りの道路マップのほか、まちの主なイベントや風土などを紹介する大型パネルも設置しています。
 旧銀河線跡地の利活用を進める町は、4月にオープンした「道の駅ステラ★ほんべつ」を中心に、この観光情報センターを本別町の南の玄関口、さらに旧仙美里駅で2011年(平成23年)度に整備予定の「鉄道記念館」を北の玄関口として、一体的に整備する構想を進めていく計画です。
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 東洋インキが、このたび、足寄産のクマザサを活用した家畜用飼料を開発し、足寄町の十勝植物活性利用協同組合(通称:十勝バウク)と協力し、飼料の実証実験に入りました。組合では、牛の肉質改善やブランド化を検討する研究会で取り組む予定です。
 クマザサは、日本に多く自生し、特に北海道の山野に群生しています。古来より様々な用途で親しまれ、葉を煎じるなどの方法で健康維持に利用されてきました。また、クマザサの葉には抗菌・防腐作用があり、お餅や寿司を包むなど食品の保存にも広く利用されています。
 クマザサは日本人になじみの深い天然素材ですが、クマザサの持つさまざまな機能が研究され科学的にも明らかになったのは近年になってかたです。今まさに、健康維持素材として注目を集めている代表植物なのです。
 国内大手インクメーカーの東洋インキ製造株式会社(本社東京都中央区)は、今回、足寄産のクマザサを活用した飼料「蒸煮笹(じょうしゃささ)」を開発しました。クマザサが原料の家畜用飼料は国内で初めてということです。
 十勝バウクは原料となるクマザサを採取し、東洋インキに販売します。十勝バウク販売部門の「北のささショップ」(黒田雅行社長)では、以前からエキス入りの生チョコレートや洗浄剤の製造販売なども手掛けてきました。今回、東洋インキと協力し、十勝管内での実証試験と販路拡大に取り組むことになります。
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