6月14日(月)、道内有数のブロッコリー生産量を誇るJA木野で、今年産の選果作業が始まりました。JA木野の選果場(音更町木野大通西6)には収穫されたばかりのブロッコリーが山積みされ、従業員が余分な茎や葉を手際よく取り除いています。
 今年は音更、士幌両町の生産者102戸が165ヘクタールで作付け。今月初旬の出荷予定分が4、5月の低温で1週間ほど生育が遅れ、5月中旬の出荷分と重なり、選果作業は序盤からフル稼働しています。
 15日も午前8時すぎから選果が始まり、ブッロコリーを積んだ生産者の軽トラックが次々と到着。約40人の従業員が作業に追われていました。整えられたブロッコリーは、鮮度を保つため、発泡スチロールに入れて氷詰めしています。

《参考:ブロッコリー (Broccoli)》 b0171771_19362660.jpg
 ブロッコリー(英語:Broccoli、学名:Brassica oleracea var. italica)は、アブラナ科の緑黄色野菜。キャベツの変種。和名はミドリハナヤサイ(緑花椰菜)、メハナヤサイ(芽花椰菜)。(中略)
 緑色の花蕾と茎を食用とする。ビタミンB、ビタミンC、カロチンや鉄分を豊富に含む。日本ではゆでてマヨネーズなどの調味料をつけて食べることが多いが、欧米ではサラダなどで生食されることも少なくない。スープやシチューの具、炒め物、天ぷらにすることもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC
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 6月13日(日)、とかち帯広空港と市内を結ぶ「道道新帯広空港線」(帯広市大正町)で地元ボランティアがサルビア約7000株を移植しました。約4km区間にわたり「花のじゅうたん」が連なり、観光客らの目を引いています。赤色で統一された花は秋まで沿道を彩ることになります。
 大正地区花と緑の実行委員会の主催で、4年目の取り組み。地域住民、道・市職員ら約80人のほか、米沢則寿市長も参加しておこなわれました。道道幸福インター線交点~道道豊頃糠内芽室線交点間の歩道に並ぶ花壇160カ所に苗を移植。炎天下の作業となりました。3割程度がすでに開花しており、数日後には咲きそろいそう。
 取り組みは全道の「花のじゅうたんプロジェクト」と連動して行われます。
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 6月13日(日)、本別町体育協会主催の「北海道日本ハムファイターズフィールドクラブ・ 野球教室 」が、利別川河川敷の弥生球場で開かれます。
 この「野球教室」は、野球人口の底辺を拡大しようと2007年から開催され、今回は本別町体育協会の創立50周年記念事業として設定し、本別教育委員会委と十勝毎日新聞社本別支局などが共催、本別野球連盟が主管します。
 当日は北海道日本ハムファイターズ少年野球指導者の白井康勝さんと牧谷宇佐美さんが来町し、小・中学校の少年団員や野球部員に技術指導する予定です。b0171771_11141073.jpg

《参考:北海道日本ハムファイターズフィールドクラブ》
http://www.fighters.co.jp/company/effort/fieldclub/

《参考:白井 康勝》
 白井 康勝(しらい やすかつ、1969年3月4日~ )は、愛知県新城市出身の元プロ野球選手(投手)。
 豊川高校卒業後日本ハム球団の練習生となり、1988年、ドラフト外で入団。1993年にはスライダー、カーブを武器に、10勝を上げ主に西武キラーとして鳴らし、オールスターゲームにも監督推薦で出場した。
 その後、1997年に広島東洋カープ、1998年にヤクルトスワローズへそれぞれ1年在籍したものの成績が振るわず、1998年シーズン終了後に現役を引退した。現在は日本ハム球団職員として、少年野球を対象とした野球教室の講師を主に担当している。
 プロ野球選手で阪急などに在籍した白井孝幸は兄にあたる。また、ヤクルトなどに在籍した内藤尚行(ギャオス内藤)は高校の同級生である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%BA%95%E5%BA%B7%E5%8B%9D

《参考:牧谷宇佐美》
 牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、男性、1980年5月1日~ )は、旭川市・旭川実業高等学校出身の東京ヤクルトスワローズに所属した元プロ野球選手(外野手)。
 1998年度ドラフト2位でヤクルトスワローズに指名され、入団する。ルーキーイヤーの1999年、投手として登録され、ファーム2年間で計11試合に登板するも、通算1勝2敗防御率14.03と結果を残すことが出来ず、翌2000年も一軍登板も果たせなかった。
 2001年にプロ入り前から評価の高かった身体能力を見込まれ、二軍監督の小川淳司と話し合った末に、投手から野手に転向する。転向直後は確実性に苦しみ、2割前後の打率で推移することも多かったが、2004年以降はファームで打率2割8分前後の成績は安定して残すようになった。2004年のファームの試合において、2試合連続のサヨナラ打を記録し、注目を集めている。
 2005年は、オープン戦において、初めて一軍の試合に出場した。しかし3打数無安打と結果を出すことが出来なかった。イースタン・リーグでは打率.287、2本塁打、6盗塁を記録している。
 2006年、二軍で打率.286、6本塁打、7盗塁の好成績を記録した。一軍の公式戦出場はならなかったが、徐々に信頼度は高まっており、一軍の練習に呼ばれる機会も増えている。
 2007年、結局この年も一軍出場はなかった。しかし二軍ではイースタン・リーグ最多の95試合に出場し、96安打で同リーグ最多安打を獲得した。打率.279、自己最多の9本塁打、10盗塁、51打点(同リーグ2位)の成績を残し、主力打者として活躍した。真面目な性格と練習熱心さから、目立った実績は無いにも関わらず、二軍首脳陣から大成を期待する旨をコメントされている。
 2008年は開幕を二軍で迎えたものの好調をキープし、6月22日に宮出隆自の抹消に伴って、自身初の一軍登録を受けた。翌6月23日、対オリックス戦7回1死満塁の場面で、代打で10年目にしてついに一軍初出場を果たした。チャンスでの登場だったが、惜しくも空振り三振に倒れた。その後7月1日の対巨人戦にも代打で出場したが、結果を出すことが出来ず7月3日に登録を抹消された。イースタン・リーグではその後も前年同様主軸として活躍したが、リーグ最多の12併殺を記録するなど、再登録にはいたらなかった。
 2009年、10月1日に戦力外通告を受け、現役を引退。真面目な性格を日本ハムに買われ、球団職員に転身。
 2010年からは、日本ハムのベースボールアカデミーの講師となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E8%B0%B7%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%BE%8
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 本別特産の黒豆加工品ブランド「キレイマメ」に、金時や小豆など“赤豆”を素材にした 「レッドシリーズ」が登場 し、十勝豆工房岡女堂本家(星昌弘店長・共栄18)で販売が始まりました。b0171771_8451022.jpg
 発売されたのは「金時ツユ甘納豆」「小豆ツユ甘納豆」(各200円、53g入り)の2商品。
 「キレイマメ」の地元販売戦略組織「十勝本別キレイマメの会」(事務局・町企画振興課)が「黒豆以外の豆でも特産加工品を」と、2008年度から商品開発を進めてきました。
 (写真:十勝豆工房岡女堂本家)
 本別町観光物産センター、岡女堂本家釧路MOO店でも近く販売する計画です。
 レッドシリーズの商品化に併せ、“本家”の黒豆加工品の新商品「黒豆しぼり甘納豆」(158円、35g)も発売しました。金時や小豆をフリーズドライした豆菓子も近日中に商品化の予定です。

《参考:岡女堂の歴史》
 安政二年に、初代がぜんざいの鍋を焦がした事から、「甘納豆」は誕生したと言われています。
甘納豆とともに歩んだ長い歴史と美味しい豆への思いは今も私たちに受け継がれています。
岡女堂 沿革史
1855年(安政2年) 創業者 大谷彦平、京都 本能寺の門前にて、ぜんざい屋を営むぜんざいを火に掛けすぎ偶然に甘納豆を発見
      大徳寺納豆より甘納豆と名を付ける
      屋号を「岡女堂」とする
1895年(明治27年) 第4回国勧業博覧会の京都開催時に甘納豆を出品
      宮内省御用品となる
      一大(ぼうだい)菓子組合の一員となる
1988年(昭和63年) 本別町に実験工房(現事務所)をオープン
1990年(平成2年) パッケージ作業所、焙煎工場、豆ドームをオープン
1991年(平成3年) 甘納豆工場をオープン
1992年(平成4年) 豆男爵の館(現売店)とガーデンをオープン
1993年(平成5年) 名古屋総本家 岡女堂を引き継ぐ
1995年(平成7年) ふるさと銀河線の開通に伴い、岡女堂駅をオープン 豆神社を遷宮
2006年(平成18年) 鶴雅グループが経営を引き継ぐ
2009年(平成21年) 国道からの入り口「北の玄関」をオープン
《岡女堂公式ホームページから》
http://www.okamedou.com/about/history.html
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 6月4日(金)、帯広市や帯広商工会議所などでつくる「とかち帯広空港利用促進協議会」(会長・米沢則寿市長)は、帯広市役所で総会を開き、昨年廃止された関西線の復活を目指す取り組みを本年度事業計画に盛り込みました。
 日本航空が10月末での撤退方針を示している名古屋線の存続に向けた活動と併せ、関西線も地域経済にとって重要路線との位置付けを明確にしました。日航に限定せず航空会社への就航要請、関西圏で十勝の物産を売り込むキャンペーンなどを展開する予定です。
 関西線は日本エアシステムが1992年に就航。合併で日航が引き継ぎました。2001年度には最多の7万7千人が利用しましたが、2005年から夏だけの季節運航となり、2009年8月末で廃止されました。
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 帯広市は今年度から、帯広市出身で長野五輪金メダリストの 清水宏保さんと協力 して、スピードスケートのエリート養成と底辺拡大を目的としたプロジェクトを発足させることになりました。「ほっとドリームプロジェクト」と銘打ち、少年団から社会人まで一貫して選手、指導者を育成し十勝から連続でメダリストを輩出するとともに、スケートを通じたまちづくりにつなげようと計画しています。b0171771_22395088.jpg
 選手育成は少年団や、中学、高校など個々にゆだねられてきましたが、少子化などにより今後も選手数の減少が見込まれることから、縦横の連携を深めて情報を共有し、カリキュラムを形成することで一貫指導を行うものです。
 3月の引退会見で「少しでも地元に還元して、五輪選手が育っていく環境を作りたい」と意欲を見せた清水さんも協力を快諾、プロジェクトの顔となって参画し、6月中にも具体的な内容について市と意見を交わします。清水さんがジュニア選手たちに実際に指導する機会もありそうです。

《参考:清水宏保》
 清水 宏保(しみず ひろやす、1974年2月27日~ )は、北海道帯広市出身のスピードスケート選手。(中略)
 実家は建設会社。葵幼稚園、帯広市立栄小学校、帯広市立帯広第一中学校、白樺学園高等学校を経て、日本大学文理学部を卒業。三協精機(現:日本電産サンキョー)、NECを経て、現在は株式会社コジマ所属(プロスケーター)。
 1993年月、イタリア・バゼルガ・ディ・ピネで行われたスピードスケートW杯に18歳で初出場し初優勝という快挙を達成。その直後の世界スプリント=群馬県伊香保では総合3位に入り、小柄な世界トップスケーターとして注目を集める。
 1994年リレハンメルオリンピック、1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと、4度の冬季オリンピックに出場している。長野では500mで日本のスピードスケート選手としては初となる金メダル、1000mでも銅メダルを獲得、ソルトレイクシティの500mでもトップと0.03秒差の銀メダルを獲得した。ワールドカップ(W杯)通算優勝回数は34回である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
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 6月8日(火)、池田町内の信取、昭栄両地区の畑でクマの足跡が見つかったとの通報が、池田町役場にありました。
 直近のものではなかったのですが、町は周辺に看板を立てるなどして注意を呼び掛けています。

《地図:赤☆印…信取地区 オレンジ☆印…昭栄地区》

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 国土交通省は、高速道路の37路線50区間(1626km)を対象とする今年度の無料化社会実験を、6月28日(月)から始めることになりました。道内では当初予定通り4路線(5区間)計319kmが対象となり、道東自動車道(道東道)は本別・足寄~占冠など開通区間の全線が対象になる見込みです。ETC搭載の有無を問わず全車種が無料となり、道内観光シーズンの最盛期に向けて、経済活性化の起爆剤として期待されます。b0171771_5403760.jpg
 道内の対象区間は道東道の本別・足寄~占冠の130kmと夕張~千歳恵庭JCT(ジャンクション)の42km、道央道の士別剣淵~岩見沢の139km、、深川留萌道の深川西~深川JCTの4km、日高道の沼ノ端西~苫小牧東の4kmとなります。
 しかし、札幌と小樽、岩見沢などを結ぶ路線は今回の対象となっていません。
《写真:道東道本別インターチェンジ付近》
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 6月5日(土)午後4時5分ごろ、帯広市広野町西2線の雑木林で、山菜採り中の十勝管内音更町の女性がクマに襲われ死亡した事故を受け、現場に近い小中学校では7日、普段徒歩やスクールバスなどで通学する児童・生徒の大半を保護者が自家用車で学校まで送迎しました。
 現場から約2kmの帯広市立広野小学校(児童数40人)では、13人が保護者の車に乗るか、徒歩で学校に向かいました。また、スクールバスを使う27人は、自宅周辺の乗り場まで保護者が付き添いました。
 広野小学校に隣接する八千代中学校(生徒数16人)では、全生徒が保護者の車で登校。下校時も保護者が学校まで迎えに来るか、教職員が自宅まで送り届けることにしました。
 帯広警察署によると、現場は小麦畑などに囲まれ、農家が点在する地帯。女性が倒れていた雑木林は、道道清水大樹線沿いにある北広野会館の北側約150m。主要道道のため貨物運送のトラックも多く、週末はさらに増えるということです。
 現場周辺を6日にパトロールした道猟友会帯広支部会員の話によると、歩幅や足の大きさから、現場にいたクマは母グマ1頭と、3歳と2歳ぐらいの子グマの計3頭で、現場の足跡から、女性を襲ったのは3歳の子グマとみられるということです。
 十勝管内で人がクマに襲われて死亡する事故は、少なくともこの10年間は発生していませんでした。一方で、道内では5月22日に胆振管内むかわ町の山林で、山菜採り中の男性1人がクマに襲われ、死亡しています。

地図:赤☆印…現場  青☆印…広野小学校  緑☆印…八千代中学校

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 6月7日(月)、足寄町でラワンブキの収穫が始まりました。b0171771_1921869.jpgラワンブキは、北海道遺産に指定されていて、足寄町内の農場で、22戸約15ヘクタール栽培されています。
 関東や沖縄など全国各地に発送、敷地内の直売所には町内外から旬の味を求める客も訪れています。 “足寄の顔”として年々知名度が上がっているラワンブキは、螺湾地区などに自生していました。最近では、作付け農家も増えています。
 今年は春先からの低温で例年より生育が1週間ほど遅れているものの、最近の好天で成長が進み、農場では大きいものは約2メートルに成長しました。

地図 赤☆印…ラワンブキ栽培の中足寄地区 青★印…螺湾地区

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