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佐倉地区・佐倉小100周年記念掲示=2015年8月撮影

b0171771_23124762.jpg 12月5日,士幌町佐倉地区 開基100周年 と佐倉小学校 開校100周年JA士幌町佐倉事業所開所50周年 を祝う記念式典・祝賀会が,同校体育館で開かれた。全校児童や地域住民ら約270人が節目を祝いました。
 式典では記念協賛会の森本真隆会長らが式辞やあいさつをしました。 また,祝賀会では,堀江博文町教育長の発声で牛乳で乾杯し,祝宴では全校児童による合唱やスライドショーが披露されました。
 大正2年,旧佐倉藩主で伯爵の堀田正恒氏が士幌にて農地開拓を行い,佐倉農場を開設しました。入植者のために浄財を投じ「佐倉小学校」を開校するなど,千葉県佐倉市と士幌町佐倉地区との関係は長く続いています。


佐倉小学校開設地記念碑
=2014年1月撮影

 十勝毎日新聞が, 「住民と児童,100年の節目祝う 士幌佐倉地区・佐倉小」 と伝えています。

 【士幌】町佐倉地区開基100周年と佐倉小学校開校100周年,JA士幌町佐倉事業所開所50周年を祝う記念式典・祝賀会が5日,同校体育館で開かれた。全校児童や地域住民ら約270人が節目を祝い,さらなる発展を誓った。

 式典では記念協賛会の森本真隆会長が「本日は開拓者のご子孫である堀田正典さんご夫妻も千葉県佐倉市からお越しいただいた。このような大きな節目に立ち会えたことは光栄で,この地区を築いた方々へ敬意を称するとともに佐倉の発展を心から祈念する」と式辞,阿部実佐倉公民館推進委員長,清水敏文校長,小野春信佐倉地区農協運営協力委員長があいさつした。

 続いて森本会長が長年にわたって佐倉地区の発展に寄与した公民館推進委員長や歴代校長,歴代事業所長ら98個人・2社に感謝状を贈呈。山下博司事業部長が記念石碑の設置やサクラの記念植樹など記念事業に関して事業報告し,来賓の小林康雄町長,加納三司町議会議長,上野靖十勝教育局長,高橋正道JA士幌町組合長が祝辞を述べた。

   -略-
 祝賀会では堀江博文町教育長の発声で牛乳で乾杯。祝宴では全校児童による合唱やスライドショーが披露され,篠原末治同JA専務理事の万歳で幕を閉じた。(小縣大輝)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年12月07日06時00分の記事


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参考写真:和歌山大学観光学部本館
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E5%AD%A6#/media/File:Wadai_ss.jpg 12月3日,幕別町の忠類地域の観光振興について調査研究してきた 和歌山大観光学部の学生らによる「地域活性化事業成果報告会」 が,忠類総合支所で開かれました。
 学生9人が9月に幕別町を訪れて調査した結果を基に,ネット中継で和歌山から地域振興策を提言しました。
 和歌山大は観光学に力を入れており,観光学部の出口竜也教授の講義を町職員が聴講したのがきっかけで忠類と連携しています。

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幕別町役場忠類総合支所=2014年8月撮影


 十勝毎日新聞が, 「和歌山大生,ネット中継で振興策提言 幕別・忠類」 と伝えています。


 【幕別】忠類地域の観光振興について調査研究してきた和歌山大観光学部の学生らによる「地域活性化事業成果報告会」が3日,忠類総合支所で開かれた。学生9人が9月に同町を訪れて調査した結果を基に,ネット中継で和歌山から地域振興策を提言した。

 同大は観光学に力を入れており,観光学部の出口竜也教授(観光経営学)の講義を町職員が聴講したのがきっかけで忠類と連携を開始。昨年から出口教授と学生が年1回,忠類地区を訪れて調査・研究を行っている。報告会には町民約20人が参加した。

 今年9月にも来町した3,4年生の学生9人は,昨年提言した事業の検証や,帯広・広尾自動車道忠類インターチェンジの開通(3月)後の変化について発表。「IC開通で忠類ナウマン温泉アルコ236の日帰り客は増えているが,滞在時間が短くなっている可能性がある。国道の交通量が減ったことで自転車が走りやすくなり,サイクルツーリズムの可能性が高まっている」などと提言した。

   -略-
(眞尾敦)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年12月05日06時15分の記事


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参考写真:トムラウシ温泉
(ユウトムラウシ川沿いの露天風呂)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E6%B8%A9%E6%B3%89

 12月1日,老朽化した温泉設備機器や厨房の改修工事で3カ月間休館していた大雪山国公立公園内の トムラウシ温泉国民宿舎東大雪荘が,リニューアルオープン します。温泉は源泉掛け流し方式に切り替わります。
 東大雪荘は,新得町が100%出資の新得観光振興公社が運営しています。1993年,現在地に新装オープンしましたが,築21年の経過に伴い温泉の供給と熱交換システムに係る設備機器に不具合が発生し,配管内部のヘドロの詰まりなどがあり,今回,長寿命化に向けて設備機械の全面改修に踏み切りました。

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参考写真:天然記念物の噴泉塔
(トムラウシ温泉)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(同上)

 十勝毎日新聞が, 「源泉掛け流しにリニューアル 新得・東大雪荘来月1日オープン」 と伝えています。

 【新得】老朽化した温泉設備機器や厨房の改修工事で3カ月間休館していた大雪山国公立公園内のトムラウシ温泉国民宿舎東大雪荘(町屈足トムラウシ,原口哲雄支配人)が12月1日,リニューアルオープンする。温泉は源泉掛け流し方式に切り替わり,従来以上に温泉ファンを引き付けそうだ。

 東大雪荘は町が100%出資の新得観光振興公社(社長・浜田正利町長)が運営している。1993年,現在地に新装オープンしたが,築21年の経過に伴い温泉の供給と熱交換システムに係る設備機器に不具合が発生。配管内部のヘドロの詰まりなどがあり,今回,長寿命化に向けて設備機械の全面改修に踏み切った。

 合わせて大浴場の洗い場の床石の張り替えやサウナ室内装の改修,厨房の改修にも着手し,9月から今月末まで3カ月間を休館し,工事を進めてきた。事業費は約3億4000万円。

 改修工事の中で大きな目玉となったのが,温泉の源泉掛け流し方式への切り替え。従来の循環方式から,温泉ファンに人気のある掛け流しに切り替えることで集客増を期待する。

 大浴場と露天風呂には温泉独特のにおいが満ちており,入浴した原口支配人も「体も湯冷めしにくく,温泉ファンに喜んでもらえるのでは」と話す。

 リニューアルオープンに合わせて12月30日まで「源泉の湯プラン」として1泊2食付きで大人1人6500円(1室2人以上)の特別企画を用意。11月から予約を受け付けたところ,申し込みが相次ぎ,平日の一部を除いて満室状態となっている。このほか,2泊以上の連泊プランや7泊以上の湯治プランも設定している。
   -略-
(大野篤志)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年11月28日07時00分の記事

地図:赤印 トムラウシ温泉東大雪荘(新得町)


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おびひろ動物園案内掲示=2014年1月撮影

 12月5日, おびひろ動物園の 冬季開園 が始まりました。
 寒冷地に生きるホッキョクグマやアザラシをはじめ,夏とは異なる様子の動物たちを見ようと,初日から大勢の家族連れなどが詰め掛けました。
 この日は青空が広がり,暖かい地域が原産のインドゾウやライオンも屋外に展示され,飼育員による動物のガイドもありました。
 また,園内のキリン舎前には,11月下旬に死んだ道内最高齢のアミメキリン「ムサシ」の献花台が設置され,開園直後から来園者が歩み寄り,突然の別れを惜しんでいました。

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ホッキョクグマ舎=2012年9月撮影

 十勝毎日新聞が,「お猿さん元気かな?冬季開園始まる おびひろ動物園」 と伝えています。

  おびひろ動物園(高橋利夫園長)の冬季開園が5日,始まった。寒冷地に生きるホッキョクグマやアザラシをはじめ,夏とは異なる様子の動物たちを見ようと,初日から大勢の家族連れなどが詰め掛けた。
 この日は青空が広がり,暖かい地域が原産のインドゾウやライオンも屋外に展示。飼育員による動物のガイドもあり,来園者は冬毛に生え替わったニホンザルなどにカメラを向けた。
   -略-
 冬季開園は来年2月28日までの毎週土・日曜と祝日。午前11時~午後2時(年末年始を除く)。

ムサシの献花台も
 園内のキリン舎前には,11月下旬に死んだ道内最高齢のアミメキリン「ムサシ」(雄・19歳)の献花台が設置された。開園直後から来園者が歩み寄り,突然の別れを惜しんだ。
 献花台には生前のムサシの写真も置かれた。献花には「ムーさん,今までありがとう」「天国で見守っててね」などのメッセージが添えられ,「リボン」と「メープル」の2頭になったキリン舎の前で,ムサシとの思い出を話す来園者の姿も見られた。
 献花した市内の50代女性は「1カ月前までは元気だったので驚いた。親子3頭で仲良くしていた姿が印象的だった。寂しい気持ちでいっぱい」と話した。

以上引用:十勝毎日新聞ニュース/2015年12月05日13時52分の記事の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201512/20151205-0022438.php

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本別町観光情報センター=2014年8月撮影


 12月1日,豆やみそ,豆腐など 町の特産品を販売する アンテナショップ が,本別町観光情報センターにオープンしました。
 国の地方創生関連交付金事業として町が設置し,町内産光黒大豆を「キレイマメ」のブランドで商品開発を進めている「十勝本別キレイマメの会」に運営を委託しました。
 センターは2009年12月に,町共栄の国道242号沿いにオープンしました。道東道本別インターチェンジに近く,年間約7万人の利用があります。
 町内の観光情報を地図を使ったパネルで表示していますが,空きスペースを有効活用する形で店舗を開設しました。
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本別町の特産品=2015年10月,北海道フェアin代々木で撮影

 十勝毎日新聞が, 「特産品アンテナショップ開設 本別」 と伝えています。

 【本別】豆やみそ,豆腐など町の特産品を販売するアンテナショップが1日,町観光情報センター(町共栄)にオープンした。国の地方創生関連交付金事業(地方創生先行型)として町が設置。町内産光黒大豆を「キレイマメ」のブランドで商品開発を進めている「十勝本別キレイマメの会」(代表・岡田清信渋谷醸造社長)に運営を委託した。

 同センターは2009年12月に国道242号沿いにオープン。道東道本別インターチェンジ(IC)に近く,年間約7万人の利用がある。町内の観光情報を地図を使ったパネルで表示しているが,空きスペースを有効活用する形で店舗を開設した。

 山口発酵食品,本別発豆いではりきる母さんの会,渋谷醸造など「-キレイマメの会」の会員団体・事業所などのみそや豆腐,しょうゆ,納豆など約40種類の商品を販売している。白花豆,黒豆,大豆,小豆などの町産生豆もある。今後は喫茶や軽食などの提供も検討する。町は同ショップの利用状況や販売実績などのデータを蓄積し,今後の特産品開発に役立てたい考え。
-略-
 営業時間は午前10時~午後4時。日祝日,年始は休み。問い合わせは同店(0156・22・4555)へ。(鈴木裕之)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年12月03日06時30分の記事


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上居辺地区開基・上居辺小学校開校100周年記念掲示=2015年8月撮影


 士幌町の 上居辺(かみおりべ)地区の開基と上居辺小学校の開校100周年を祝う記念式典 が,上居辺小学校で開かれました。
 今年はJA士幌町上居辺事業所が開所65周年,上居辺保育所も開所60周年を迎えたこともあり,合わせて関係者が節目を祝いました。式典には約250人が出席しました。
 終了後は記念碑除幕式を行い,幅3.2m,高さ2.6mの記念碑が,開基・開校100周年を記念して小学校の校門前に設置されました。

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士幌町立上居辺小学校=2015年8月撮影


十勝毎日新聞が, 「250人出席で100年祝う 上居辺地区開基・上居辺小が記念式」 と伝えています。
 【士幌】上居辺地区の開基と上居辺小学校の開校100周年を祝う記念式典が28日,同小学校で開かれた。今年はJA士幌町上居辺事業所が開所65周年,上居辺保育所も開所60周年を迎えたこともあり,合わせて関係者が節目を祝った。

 式典には約250人が出席。開基・開校100周年記念協賛会の加藤宏一会長が「どんな時代でも,目の前に立ちはだかる大きな壁を乗り越えてきた経験をもとに,これからもさらなる上居辺地区の発展を願っている」と式辞。小林康雄町長,高橋正道JA士幌町組合長,上野靖十勝教育局長,加納三司町議会議長がそれぞれ祝辞を述べた。

 式上,長年上居辺地区の発展に寄与したとして,町議会議員や上居辺小歴代学校長,歴代事業所長ら137個人・4社に感謝状が贈られ,加藤会長が一人ひとりに手渡した。受賞者を代表して産業功労表彰を受けた河村博道さんが「100年の年月をかけて培ってきた安全安心,良質な地方生産を途絶えさせることなく,信頼と責務を次の世代に受け継いでいくためにこれからも地区活動を応援していきたい」と謝辞を述べた。

 終了後は記念碑除幕式を行い,加藤会長や小林町長らが幕を取り除いた。幅3・2メートル,高さ2・6メートルの記念碑は,開基・開校100周年を記念して同小学校の校門前に設置されている。記念碑には「懐かしい古里にいつまでも愛着を持ち,子供たちの未来を温かく見守る」との思いを込め,同小学校の校歌とともに「懐郷」と刻まれている。
   -略-
(川野遼介)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年11月30日07時00分の記事


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参考写真:香港/ヴィクトリア・ハーバーの風景
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF


 11月27,28の両日, 民間レベルで香港と帯広の交流 を深めようと,第1回の交流拡大親善アイスホッケー大会が,帯広の森アイスアリーナで行われました。
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟国などの財界人でつくる,太平洋経済委員会の関係者の提案で実現しました。
 香港からは現地リーグの選手14人が参加し,27日は帯広オジンガーO-50(梶友成監督),28日は帯広オジンガーO-60+α(太田忠紀監督)とそれぞれ試合を行いました。

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帯広の森アイスアリーナ=2014年1月撮影

 十勝毎日新聞が,「香港・帯広,アイスホッケーで交流 初の親善大会」と伝えています。
 香港と帯広の交流を民間レベルで深めようと,第1回の交流拡大親善アイスホッケー大会(実行委員会主催)が27,28の両日,帯広の森アイスアリーナで行われた。アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟国などの財界人でつくる,太平洋経済委員会の関係者の提案で実現した。来年以降の継続開催に期待が膨らんでいる。

 提案したのは,太平洋経済委員会の税務担当責任者で,香港の企業の社長を務めるベルナルド・ポウリオットさん。昨年9月に同委員会の会議が帯広で行われたのをきっかけに,ベルナルドさんが両地域で盛んに行われているアイスホッケーに着目。帯広市文化スポーツ振興財団などが実行委(委員長・金澤耿同財団理事長)を立ち上げ,実現に至った。

 香港からは現地リーグの選手14人が参加。27日は帯広オジンガーO-50(梶友成監督),28日は同O-60+α(太田忠紀監督)とそれぞれ試合を行い,言葉の壁を越えて楽しんだ。26日は8-4,28日は13-9でいずれも香港チームが勝った。28日の試合終盤には一部の選手がユニホームを交換し,双方の選手が入り交じって競技に臨む場面もあり,大会は終始和やかなムードが漂った。

   -略-

 28日夜には市内の十勝農園で懇親会が開かれた。参加者は「いろんなやり方を考え,要望があればまたやりたい」(大竹さん)と継続的な交流に期待し,ベルナルドさんも「ぜひ来年以降も続けたい」と意欲を見せた。

 金澤実行委員長も「言葉は通じなくても戦友のような仲になった」と手応えを話した。


以上引用:十勝毎日新聞ニュース/2015年11月29日 13時51分の記事の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201511/20151129-0022388.php


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参考写真:松浦武四郎
(首から下げているのは,武四郎がコレクションしていた古物で自作したもの。)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E


 12月5日,特別展 松浦武四郎展~十勝毎日新聞社グループコレクションから が,帯広百年記念館で開幕します。
 会場の同館特別展示室では4日,関係者が展示作業など最後の準備に追われました。
 「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎(1818~88年)の初めての北海道探査から,170年を迎えたのを記念して開かれます。
 現在の三重県松阪市で生まれた武四郎は,71年の生涯の中で6度にわたる北海道(蝦夷地)調査を行い,数々の地図や書籍,絵画などを残しました。


参考:帯広百年記念館ホームページ
http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/

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帯広百年記念館=2015年8月撮影


 十勝毎日新聞が, 「松浦武四郎展あす開幕 会場は準備着々」 と伝えています。


 特別展「松浦武四郎展~十勝毎日新聞社グループコレクションから」(十勝毎日新聞社,NPO十勝文化会議主催,帯広市教委共催)が5日,帯広百年記念館(帯広市緑ケ丘2)で開幕する。会場の同館特別展示室では4日,関係者が展示作業など最後の準備に追われた。
 「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎(1818~88年)の初めての北海道探査から,170年を迎えたのを記念して開く。現在の三重県松阪市で生まれた武四郎は,71年の生涯の中で6度にわたる北海道(蝦夷地)調査を行い,数々の地図や書籍,絵画などを残した。

 展示するのは,内陸の様子を詳細に伝え,現代の行政区域の基礎となった「北海道国郡検討図」(縦2・4メートル,横3・6メートル)や,十勝を含む当時の北海道の様子を伝える日誌,書画など約50点。蝦夷地の姿を伝えることに情熱を注ぎ,アイヌの生活・文化にも深い理解を示した武四郎の足跡をたどる。

   -略-
 会期は23日まで。(関根弘貴)


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年12月04日11時27分の記事


参考:松浦 武四郎

 松浦 武四郎(まつうら たけしろう,文化15年2月6日(1818年3月12日) - 明治21年(1888年)2月10日)は,江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家,浮世絵師,好古家。名前の表記は竹四郎とも。諱は弘。雅号は北海道人(ほっかいどうじん),多気志楼など多数。蝦夷地を探査し,北海道という名前を考案した。


生涯[編集]

 文化15年(1818年),伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介ととく子の四男として生まれる。松浦家は,肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。別書では,代々百姓で,父・桂祐の次男として生まれたとしている。父親は庄屋を営んでおり,比較的恵まれた中,文化的な素養を身に付けたとされる。13歳から3年間,平松楽斎(漢学者・伊勢津藩士)のもとで学び,猪飼敬所,梁川星巌らと知己を得る。
 山本亡羊に本草学を学び,16歳から諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが,故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり天涯孤独になったのを契機に,弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発する。1846年には樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として同行し,その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査,「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)には開拓判官となり,蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に開拓使を批判して職を辞し,従五位の官位も返上した。この間,北海道へは6度赴き,150冊の調査記録書を遺した。-略-
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E


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参考写真:台湾新竹県「合興駅」木造駅舎
旧駅部分の線路は木製の踏板で覆われている。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E8%88%88%E9%A7%85


 帯広市内の観光名所「幸福駅」と台湾北西部新竹県の合興(ホーシン/ごうこう)駅の 姉妹駅構想 に,市は調査費100万円を補助する方針を固め,12月定例会に補正予算案を提案します。
 市はこれまで構想に慎重で,補助金支出方針を示すのは初めてで,外国観光客入り込み数で道内で“一人負け”を続ける十勝観光のてこ入れを図る考えがあるとみられます。
 構想は2014年から民間団体「十勝日台親善協会」が模索していました。調査費を活用し,同協会は来年1月にも台湾を訪れ,姉妹駅の実現可能性などを現地担当者と協議する考えです。


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旧JR「幸福駅」=2014年1月撮影

 十勝毎日新聞が, 「姉妹駅実現へ一歩 帯広・幸福駅と台湾・合興駅」 と伝えています。


 帯広市内の観光名所「幸福駅」(幸福町東1線)と台湾北西部の合興(ごうこう)駅(新竹県)の姉妹駅構想に,市は調査費100万円を補助する方針を固め,12月定例会に補正予算案を提案する。市はこれまで構想に慎重で,補助金支出方針を示すのは初めて。外国観光客入り込み数で道内で“一人負け”を続ける十勝観光のてこ入れを図る考えがあるとみられる。

 構想は2014年から民間団体「十勝日台親善協会」(曽我彰夫会長)が模索していた。調査費を活用し,同協会は来年1月にも台湾を訪れ,姉妹駅の実現可能性などを現地担当者と協議する考え。実際に調印書にサインする団体は未定だが,関係者は「来年度中には締結を」と意気込む。曽我会長は「これまでの取り組みが前進する。十勝から合興に観光客を送り出したい」と歓迎する。

 市が慎重姿勢だったのは,日本と台湾に国交がない上,中国・朝陽市と国際友好都市の関係にあることが背景にあったとみられる。幸福駅は市有物件だが,市は「姉妹駅構想は民間団体同士の交流」と,一歩引いたスタンスだった。

 一方,観光面では,アジア圏で北海道観光がブームとなる中,十勝だけが恩恵を受けていなかった。道によると,道内の外国人宿泊客数は14年度,全道平均が前年度比98.8%増とほぼ倍増したが,十勝は同10.8%増。圏域別でも最下位で,下から2番目の釧路・根室の70.6%増にも大きく水を開けられた。

 こうした中,台湾からの十勝観光客は同年,宿泊人ベースで4万8545人と全体の3分の1以上を占め,伸び率も23.8%増と好調。
   -略-


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース/2015年11月27日 13時27分の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201511/20151127-0022369.php


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参考写真:アンモナイトの化石標本(裁断面)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88#/media/File:Ammonite_section.JPG


 北海道博物館は,11月25日までに,2012年に 浦幌町で発掘された アンモナイトの化石 が,北太平洋地域で最後まで生き残ったアンモナイトであったことが判明したと発表しましたた。
 近く日本古生物学会の機関誌に掲載します。この研究成果を踏まえ,博物館は28日から「北海道のアンモナイトとその魅力」と題した企画展を開き,化石標本を公開する予定です。
 浦幌町のアンモナイト化石は2012年8月,町内の茂川流布(も かわろっぷ)川沿いで発見されました。
 調査の結果,巻きアンモナイトの一種「ディプロモセラス シリンドラセアム」と同種で,約6680万年前の産出と推定され,化石の地層などから,このアンモナイトが北太平洋地域で最後まで生き残っていたものと断定しました。


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写真:北海道博物館
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8


 十勝毎日新聞が, 「浦幌のアンモナイト,28日から公開 道博物館 札幌」 と伝えています。


 北海道博物館(札幌)は25日までに,2012年に浦幌町で発掘されたアンモナイトの化石が,北太平洋地域で最後まで生き残ったアンモナイトであったことが判明したと発表した。近く日本古生物学会の機関誌に掲載する。この研究成果を踏まえ,同館は28日から「北海道のアンモナイトとその魅力」と題した企画展を開き,化石標本を公開する。


 浦幌町のアンモナイト化石は2012年8月,同町内の茂川流布川沿いで発見された。調査の結果,巻きアンモナイトの一種「ディプロモセラス シリンドラセアム」と同種で,約6680万年前の産出と推定された。アンモナイト類は白亜紀末の約6600万年前に巨大隕石(いんせき)の衝突の影響で絶滅したとされ,化石の地層などから,このアンモナイトが北太平洋地域で最後まで生き残っていたものと断定した。


 同館の栗原憲一学芸員は「絶滅時にどのようなアンモナイトが繁栄していたかは一切不明だったが,今回の研究成果で,本種が隕石衝突の直前まで繁栄していたことが初めて明らかにされた」としている。
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以上引用:十勝毎日新聞社ニュース/2015年11月26日 13時55分の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201511/20151126-0022363.php


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