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 7月25日(日)、「明治北海道十勝オーバル」がこの日、国内のスピードスケート場で最も早く、今季のリンク利用を開始しました。 
 十勝管内芽室町にある帯広市の屋内スピードスケート場「明治北海道十勝オーバル」は、昨年9月にオープンし、今回が初の夏季営業。初日は一般の利用者に無料開放され、家族連れや友人同士がゆったり滑っていました。 
 この日、スピードスケート全日本の強化合宿も始まり、バンクーバー五輪銀メダリストの長島圭一郎選手(日本電産サンキョー、池田高出)らが久々に氷の感触を確かめていました。 
 今季の利用は来年3月6日までの予定で、今年11月にジャパンカップ、12月にW杯が開かれる予定です。
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 7月13日(火)、本別中央小学校の6年生51人が、本別町歴史民俗資料館で開催中の特別展「わが町の7月15日 沖縄戦とひめゆり学徒隊」の会場と町図書館を訪れ、沖縄戦の体験談を聞きました。
 6年生の社会科と総合学習の授業を活用し、同校が戦争と平和の学習の一環で取り入れました。6年生は、は事前学習で沖縄戦やひめゆり学徒隊、本別空襲を学び、この日に臨みました。
 この日は、上士幌町在住の満山凱丈(よしたけ)さんから、沖縄戦の体験を聞きました。
 満山さんは、1944年2月に旭川の師団に入隊し、満州駐屯を経て同年、沖縄に送られました。翌年5月、西原町運玉森の戦闘で、左目を失いました。この時、味方の3分の2は戦死し、この戦闘を機に、南端への逃避行や集団自決など「沖縄戦の悲劇」が始まったとされます。満山さんも島南端、糸満市にある余座岳の自然洞穴「ガマ」に逃れ、終戦を知らずに身を潜め続けたとのことです。
 戦後は、故郷に帰れず死んでいった戦友の遺骨を拾い集めて供養するため、何度も沖縄に足を運んでいます。
 満山さんが自身の悲惨な体験を振り返り、戦場で左顔面に大けがを負ったことや、戦友が次々と命を落とした戦場の様子を切々と語る一言一言に、どの子も、真剣に耳を傾けていました。

《写真:沖縄・糸満市の「平和の碑」》
 碑には、十勝出身の922人の名前も、戦没者として刻まれています。
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 7月25日(日)午前、とかち帯広空港に、中国・北京から初の国際チャーター便が到着しました。ほぼ満席の乗客152人が降り立ち、バスで道内観光に出発しました。
 帯広市は同便から、国際チャーター便に適用する着陸料を半減させて、国際的な観光の発展を目指しています。
 上海に本社を置く中国東方航空が運航する定員157人の旅客機で、同空港に乗り入れた国際チャーター便としても今年度初めて。
 一方、道内観光を終えた中国人客151人を乗せて、同日正午すぎ北京に戻りました。
 このチャーター便は、25日朝に北京を出発、午前10時40分に到着しました。同11時すぎには、入国手続きを済ませた観光客が、続々と到着ロビーに現れました。米沢則寿帯広市長を会長とする「とかちアジア観光誘致推進協議会」が、ホワイトチョコレートをプレゼント、帯広カムイトウウポポ保存会がアイヌ舞踊で歓迎しました。
 とかち帯広空港に入った2009年度の国際チャーター便は、前年度の約10分の1の24便。今年度は8月2日に北京から再び乗り入れ、9月2、6日には上海~帯広間の2往復4便が運航予定です。
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 本別町議会議員選挙は、7月24日(土)に投票と開票が行われ、選挙管理委員会から結果が発表されました。
 定数12人に対し、16人が立候補するという激戦で、立候補した現職22名・新人1名が全員当選しました。また、元職の4人は落選するという厳しい結果でした。
 前回2006年7月の選挙の最下位当選者が179票だったのに対し、今回は260.533票と80票も引き上げられ、激戦の結果が現れています。
 まお、当日の有権者数は7010人、投票者数は5488人、投票率は78.29%で、前回2006年7月の79.81%%より1.52 %低くなりました。
 翌日の7月25日には、十勝毎日新聞社から号外が出されました。
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 序の口西35枚目で 本別町出身の篠原 の7月場所(名古屋場所)の成績をお伝えします。
 13日目までに7番の対戦を終えました。星取は以下の通り。

 ---○○○○-●-○-○--

 4日目・14日(水)は、東34枚目の立錦に押し出しで 初日を出しました。
 5日目・15日(木)は、西32枚目の男山に上手投げで勝利。2連勝です。
 6日目・16日(金)は、東35枚目の 福島に 寄り倒しで勝利。連勝を3にのばしました。
 7日目・17日(土)は、東30枚目の藤乃若に寄り倒しで勝利。4連勝で、早くも勝ち越しを決めました。
 9日目・19日(月)は、東25枚目で同じ4連勝中のモンゴル出身の荒闘司(あらとうし)と対戦。すくい投げで惜しくも敗れました。
11日目・21日(水)は、西30枚目の香川に上手投げで勝利。5勝1敗に星を伸ばしました。
13日目・23日(金)は、西27枚目の中嶋を上手投げで退け、6勝1敗と堂々の好成績で名古屋場所を終えました。
 一時は、序二段東31枚目まで昇進した篠原。九月場所の活躍を期待したいと思います。

 なお、9日目に対戦して唯一の黒星を喫した東25枚目のモンゴル出身の荒闘司(あらとうし)が、7戦全勝で序の口の優勝を果たしました。
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7月15日(木)、本別町主催の戦没者・戦災死没者追悼式が、ふれあい交流館で行われました。遺族などが出席して、戦争で犠牲になった339人の冥福を祈りました。
 町内では日清、日露、太平洋戦争で299人が戦死。1945年の本別空襲で40人が犠牲になっています。
 また、昭和20年4月の沖縄戦では、52人の本別町民が命を落としていて、これは地域別戦没者の多さでは、一番になるとのことです。
町は平和の礎となった先人をしのび、本別空襲があった7月15日に合わせて毎年、追悼式を行っています。
 参加者は、午前10時すぎのサイレンを合図に黙とうをささげたました。その後、高橋正夫町長式辞を述べ、笠原求町議会議長、粂田達一町社会福祉協議会会長、政木高治町遺族会会長らが追悼の言葉を述べました。
《写真:広報ほんべつ7月号》
 今年の「わが町の7月15日」は、テーマが『沖縄戦と学徒隊』
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 池田町や本別町でマイマイガの幼虫が大量死している問題で、原因を調べていた独立行政7月20日(火)、法人森林総合研究所は
b0171771_3232126.jpg①カビの一種による疫病
②ウイルスによる膿(のう)病
③寄生バエ

以上のの3要因がからんでいるとの見方を発表しました。
 同研究所昆虫管理研究室の島津光明主任研究員は、7月12日から3日間、新得、足寄、本別、池田、浦幌などで大量死した幼虫の死骸と生きている幼虫の両方を採取し、分析を進めていました。
 島津研究員によると、研究室に持ち帰った幼虫も続々と死んで、死骸からはカビの一種が確認され、核多角体病ウイルスによる膿病や、寄生バエに産卵されて死んだ幼虫もいたということです。一昨年から昨年にかけて秋田、岩手両県であったマイマイガ大発生とその終息例も参考に、十勝東部については、幼虫はほとんど生き残れず、大発生は終息するとの見方を示ました。
《写真:木の幹で死んだマイマイガの幼虫》
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 十勝管内の清水町松沢地区で 秋まき小麦の収穫 が、7月20日(火)、早くも始まりました。黄金色の小麦畑を大型コンバインが収穫作業を始めています。b0171771_19483025.jpg
 十勝総合振興局によると過去10年間で最も早い収穫開始。 十勝管内の今年産の秋まき小麦の作付面積は4万2023ヘクタール。主力品種のホクシンは今年産が最後で、来年から新品種(きたほなみ)に替わるとのことです。
 20日、十勝総合振興局は、7月15日現在の十勝管内の農作物生育状況を発表しました。
(右表)
 7月も気温が高く推移して生育が早まり、遅れていた秋まき小麦やジャガイモは回復、全品目で生育は平年並み以上となりました。
 生育が顕著に進んだのは豆類で、小豆と手亡で前回調査(7月1日)より4日、大豆で3日進み、生育はいずれも「6日早い」。草丈は手亡で平年比209%の39.8cm、小豆で同189%の19.8cm、大豆で同147%の45.2cmとなっています。
《十勝総合振興局産業振興部農務課》
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/ss/num/
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 JR北海道は9月4、5日の2日間、根室線の帯広~池田間で、C11型蒸気機関車がけん引する臨時列車「SLとかち号」を運転することが決まりました。同区間をSLが走るのは38年ぶり。同社は、乗車券の発売などを含めた運行計画を近く発表します。
 JR北海道が、秋の十勝キャンペーンの目玉イベントとして運転を計画。SLとかち号は帯広駅を午前11時すぎに出発し、30分あまりで池田駅に到着。午後に帯広駅まで折り返し、1日1往復する予定です。
 同社釧路支社の社史によると、同区間でのSLの営業運転は1972年が最後。ただ、十勝管内では2001年に旧国鉄路線を引き継いだ旧ふるさと銀河線の池田-北見間で、「SL銀河号」が走ったことがあります。
 SLとかち号の運行をめぐっては、福岡市の旅行会社がSLの乗車や然別湖周辺の散策を盛り込んだツアー商品を企画しているなど、道外からの観光客誘致にもつながりそうです。広々とした十勝平野を、SLが堂々と煙を吐きながら走る姿が、今から期待されます。b0171771_545322.jpg
《写真:JR北海道 C11形蒸気機関車 SLニセコ号11》

《参考:国鉄C11形蒸気機関車》
 国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。
Cのチョンチョンという愛称で呼ばれることもある。
概要
 運転席(C11 75, 倉吉線鉄道記念館)1920年代の国鉄では、第一次世界大戦終結後の日本経済の低迷と、とくに都市部での並行私鉄線や自動車の台頭などの事情から、旅客・貨物輸送ともに輸送単位の縮小や列車運行回数の高頻度化が求められるようになっていた。
 そこでその要請に応えるべく、C51形やC53形といった大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となった、6200形などの鉄道国有化以前に製造された2Bテンダー機関車を改造したタンク機関車を、支線区運用や都市部の区間運転などに充てることとした。だが、それらの車両は改造の時点で製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車扱いとなる車両が発生するなど、その状態は思わしくなかった。また種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。
 都市部での旅客列車の高頻度・高速運転については、当時地方私鉄を中心に実用化が進みつつあったガソリンカーなどの内燃機関を動力とする気動車も選択肢の一つであり、1929年には鉄道省初の制式ガソリン動車であるキハニ5000形が製造されている。だが、これは搭載機関出力の非力さや設計面での未熟などが重なって、これらの老朽タンク機関車による旅客列車を代替するには全く不十分なものであった。
 そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本としつつ一回り小型化し、石炭庫と水タンク搭載のために軸従台車を付加する形で、国鉄としては1917年の4110形最終増備グループ以来13年ぶ
りとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。
 その先駈けとなったのは鉄道省と車両メーカー各社が共同で設計し、1930年に製造されたC10形である。これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。だが、このC10形は性能面では概ね満足な成績が得られたものの、従台車を2軸台車としたにもかかわらず動軸重が13tを超過し、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区への投入には適さないという問題があった。そこでこの新型タンク機関車の本格量産にあたっては、1931年に設計されたC54形で得られたノウハウも盛り込んで設計をさらに見直し、とくに薄鋼板部品の接合に折から実用化が急速に進みつつあった電気溶接を採用するなど、新技術を積極的に導入して軽量化を図ることで、動軸重を13t以下に抑えることになった。
 この新型機関車はC10形の続番としてC11形という形式が与えられ、構造の見直しと工作法の工夫によって運転整備重量をC10形比で約5パーセントの削減となる66.05t[3]、動軸重で最大12.5tの範囲内に収め、C10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功した。
 本形式は不況期の輸送需要減少を背景として開発された機種であるがコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その総数が381両[5]に達するという、国鉄近代型制式蒸気機関車の中でも有数の成功作となった。また、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされ、国鉄最後の新設計制式蒸気機関車となったE10形まで引き継がれており、その面でも大きな成功を収めた形式である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84C11%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
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 7月19日(月)に告示された 本別町議会議員選挙 は、午後5時で立候補の届け出を締め切りました。定員の12議席に、現職11人、新人3人、元職2人の計16人が立候補し、5日間の選挙戦が始まりました。b0171771_20314369.jpg
 投票日は、7月24日(土)です。
 現職の永井米男氏は、出馬を取りやめ、1期で引退することになりました。
 選管によると、記録が残る1982年以降の7回の町議選はいずれも、定数より1~2人多い立候補者数だったとのことで、今回は定数が3減となった影響もあり、定数を4人上回る「激戦」となりました。
 定数15に17人が立候補した前回の2006年選挙は、最下位当選が179票でした。今回は、18日現在の選挙人名簿登録者数では7151人で、4年前より263人減り、今回も当選ラインは200票前後になりそうです。
 なお、期日前投票は7月20日(火)から23日(金)までの午前8時半~午後8時に町役場で受け付けます。
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