<   2009年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 11月17日(火)、りくべつ宇宙地球科学館・銀河の森天文台(陸別町宇遠別)で、しし座流星群観望会が開かれました。残念ながら、この日の夜は,空が曇っていて流星群は観測できなかったため、しし座流星群の説明会で過ごしました。同天文台の筧伸浩主任が流星の成り立ちや、最近のしし座流星群の発生状況などを解説しました。
 しし座流星群は、多い時には1時間に数千個を超えるような流星嵐となる流星群です。
 今年2009年のしし座流星群は、2001年の流星嵐には及びませんが、11月18日の明け方の空が明るくなる直前の時間帯に、流星数が増加していくことが期待されていました。

 なお、同天文台では12月12日(土)・13日(日)の2日間、ふたご座流星群観望会を計画しています。12月中旬は三大流星群の1つふたご座流星群の季節です。今年は月明かりも少ない絶好の流れ星観察日和で、多ければ1時間に50個くらい流れると予想されています。

《参考:年間三大流星群》 「しぶんぎ座流星群」(毎年1月1日頃から1月5日頃に出現)、「ペルセウス座流星群」(7月20日頃から8月20日頃にかけて出現)と「ふたご座流星群」(12月5日頃から12月20日頃にかけて出現)の流星群です。
《参考:銀河の森天文台》 陸別町は、環境庁から昭和62年度に「星空の街」に選定され、さらに平成9年度には「星空にやさしい街10選」に認定されました。「りくべつ宇宙地球科学館(「愛称:銀河の森天文台)」はこの特性を活かし建設されたものです。公開型天文台としては日本一の115cm反射望遠鏡が設置され、屋上に小型望遠鏡4基・屋外に太陽観測専用望遠鏡などが設置されています。展示室ではパネル展・宇宙の体験学習ができます。(出典:どうしんウェッブ)

銀河の森天文台URL…http://www.rikubetsu.jp/tenmon/

地図 赤☆印…銀河の森天文台

[PR]
 「義経山」を再び観光名所に と、野田仁氏が会長を務める本別町観光協会は、現地調査を行いました。
 2003年(平成15年)の十勝沖地震により、義経山一帯では、岩や洞穴が部分的に崩れたり、その後の大雨により登山道が消失する事態に至っていました。
 私(ブログ作成者)は、小学生の頃、毎年のように、遠足で現在の「義経の里本別公園」である「夏川公園」に出かけ、途中で「弁慶洞」を覗いたり、先生から「あれが、義経山ですよ」と説明されたりしたことが思い出されます。当時、義経山と弁慶洞は、夏川公園に隣接し、本別唯一の観光スポットでした。
 今回は、野田会長ら理事のほか、高橋町長、砂原副町長、澤田教育長、義経山に詳しい町民有志や町歴史民俗資料館スタッフら約20人が参加して、大沼地先から平(たいらの)広場までの約2kmを歩き、登山道や観光資源の所在・現状を確認しました。その結果、部分的な崩落や落石も確認されました。しかし、登山道や展望施設からの眺望も良く、観光資源としての価値は充分との見解を出すに至りました。

《参考:「義経伝説不死伝説 」》
 後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、源義経北行説と呼んでいる。この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷の日高ピラトリ(現 北海道平取町)に義経神社が創建された。b0171771_048296.jpg
 義経の戦術は奇襲攻撃が多く、アイヌの人々の狩りのやり方によく似ていた。(中略)
 このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地(北海道)のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
 これに基づき、北海道の本別町では義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。現在では土砂崩れなどの危険もあり、弁慶洞については直接進入するのは難しいため、地上から見上げる形で観察することが出来る。

《参考:義経=ジンギスカン説》
 この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。
(以上 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
写真:本別公園に立つ源義経像
地図 赤☆印…義経山  青☆印…弁慶洞

[PR]
 11月21日(土)午後2時、道横断自動車道(道東道)本別IC-浦幌IC間の延長8kmが開通しました。午前10時から、石川知裕、鈴木宗男両衆院議員ら来賓を含む約150人が出席して、町農業団地センターで式典が行われました
 本別ICから釧路方面に8kmの浦幌町栄穂地区に位置する浦幌ICまでは、暫定2車線の対面通行(一部4車線)になります。国の事業である新直轄事業で整備されている本別-釧路間(延長65km)の中で初めての開通になります。浦幌ICは国道274号から町道東14線に200m入ったところに出入り口があります。 当初、浦幌ICは本別-釧路間の計画にはありませんでしたが、今年になって追加設置が決まりました。設置場所の浦幌町栄穂は農家の集落があり、生乳など農産物の流通をはじめとした地域振興を目的に、同町が国に設置を申請し、認められました。
 浦幌IC-本別IC間は無料。同区間の供用開始で、本別-釧路間の整備率は12.3%となります。本別-釧路間の供用開始は「平成20年代後半」を予定しています。

 《地図》赤☆印浦幌IC  青☆印本別IC  花印道東道延長部分
なお、地図では、道東道の本別IC-浦幌ICが予定区間になっています。新しい地図ができ次第、更新します。

[PR]
 11月14日(土)、建設中だった観光情報センターが、供用開始しました。
 銀河線廃止後の旧岡女堂駅の周辺整備を兼ね、トイレと観光情報の発信施設、駐車場を一体的に整備したものです。センターは、共栄の国道242号沿いと本別市街地の南の玄関口に位置する立地を生かし、ドライバーや観光客に本別の見どころなどをPRしていきます。設置されたトイレは、多目的型も含め24時間利用でき、広い駐車場には大型バス3台と乗用車22台、身障者用1台分を確保し、南側約50メートルの高台にある十勝豆工房岡女堂本家や飲食店などに連絡する通路も設けられました。
 センター内部には52インチ大型液晶画面とタッチパネル式の情報端末が置かれ、映像で本別の特産品や宿泊施設などを紹介します。また、名所・観光地入りの道路マップのほか、まちの主なイベントや風土などを紹介する大型パネルも設置しています。
 旧銀河線跡地の利活用を進める町は、4月にオープンした「道の駅ステラ★ほんべつ」を中心に、この観光情報センターを本別町の南の玄関口、さらに旧仙美里駅で2011年(平成23年)度に整備予定の「鉄道記念館」を北の玄関口として、一体的に整備する構想を進めていく計画です。
[PR]
 東洋インキが、このたび、足寄産のクマザサを活用した家畜用飼料を開発し、足寄町の十勝植物活性利用協同組合(通称:十勝バウク)と協力し、飼料の実証実験に入りました。組合では、牛の肉質改善やブランド化を検討する研究会で取り組む予定です。
 クマザサは、日本に多く自生し、特に北海道の山野に群生しています。古来より様々な用途で親しまれ、葉を煎じるなどの方法で健康維持に利用されてきました。また、クマザサの葉には抗菌・防腐作用があり、お餅や寿司を包むなど食品の保存にも広く利用されています。
 クマザサは日本人になじみの深い天然素材ですが、クマザサの持つさまざまな機能が研究され科学的にも明らかになったのは近年になってかたです。今まさに、健康維持素材として注目を集めている代表植物なのです。
 国内大手インクメーカーの東洋インキ製造株式会社(本社東京都中央区)は、今回、足寄産のクマザサを活用した飼料「蒸煮笹(じょうしゃささ)」を開発しました。クマザサが原料の家畜用飼料は国内で初めてということです。
 十勝バウクは原料となるクマザサを採取し、東洋インキに販売します。十勝バウク販売部門の「北のささショップ」(黒田雅行社長)では、以前からエキス入りの生チョコレートや洗浄剤の製造販売なども手掛けてきました。今回、東洋インキと協力し、十勝管内での実証試験と販路拡大に取り組むことになります。
b0171771_23531675.jpg

[PR]
 11月3日(火)、スポーツ賞、同奨励賞、文化奨励賞の授与式がありました。
 スポーツ賞の功労の部では、北5丁目の宮崎統さんと仙美里元町の中山博志さんが表彰されました。お二人は、本別軟式野球連盟理事や審判員として活躍するなど、野球を通して青少年の健全育成に当たってこられたことが評価されました。
 スポーツ奨励賞に、柔道で活躍した上押帯の加藤さんと陸上競技400mの大橋さんの2名。
 文化奨励賞に、公民館講座「カメラ入門」の西村さん(北4丁目)、高坂さんが代表のパッチワーク愛好会、北海道吹奏楽コンクールで活躍した本別高校吹奏楽部の1人の個人、2つの団体が表彰されました。
 文化の日の3日は、中央公民館において、若木佳則教育委員長から表彰状が贈られました。また、高橋正夫町長、笠原求町議会議長が祝辞を述べました。
[PR]
 11月3日(火)、開通間近の道東道・浦幌IC-本別IC間で、開通記念ウオーキングが行われました。
 北海道横断自動車道(道東道)は、21日(土)に浦幌IC-本別IC間の8kmが、延長して開通する予定です。
 この日、浦幌ICの開設を求めてきた村中一雄氏を代表とする「みちと農業を考える浦幌ワークショップ」の会員や地元住民らが参加して、浦幌ICから本別方向へ約2km歩きました。延長730mある「貴老路大橋」では降りて見学し、地上50mの高さに驚きの声を上げていました。
 いよいよ、道東道の釧路への接続が、現実味を帯びてきました。
写真は、本別ICから左手に浦幌IC方向へ延びる道東道(国道242号線を本別から池田方向へ)
b0171771_93573.jpg

[PR]
 10月30日(金)、本別中央小の3年生が、ビートの収穫体験をしました。
 3年生は、社会科の「自然を生かした仕事」の単元で、ビートの栽培に取り組みました。共栄にあるJA本別町青年部員の土倉真哉さんの畑に、子どもたちは、5月、ビートの播種(はしゅ)作業をしました。そして今回は、成長したビートを自らの手で掘り出しました。
 JA本別町青年部本別支部が全面的に協力し、ビートの生産を通じた農業理解と食育をテーマにして、この授業に取り組みました。
b0171771_20212992.jpg

[PR]
 10月30日(金)、銀河線代替バス《》で 菊まつり鑑賞ツアーバス が発車しました。
 これは、佐々木哲夫氏が会長を務める「町ふるさと銀河線代替バス振興会議」が、代替バス利用促進策の一環で「第40回おびひろ菊まつり」鑑賞ツアーを計画したものです。
 帯広市中央公園北側広場を会場に行われている菊まつり会場で、4時間ほど過ごしました。参加者は、62~84歳の9名でした。 
b0171771_702299.jpg

 第40回帯広菊まつりは、10月29日(木)~11月3日(火・祝)の6日間、約3000本の菊を使用した総合花壇や、約700点以上の作品が美しさを競う菊花展を中心に行われました。帯広と姉妹都市である大分市・徳島市や、交流都市の高松市の物産展が開催されるほか、各種ステージイベントが催されました。
b0171771_6553838.jpg

:銀河線代替バス》 平成18年(2006年)4月20日に運行を終えたふるさと銀河線に代わって、翌21日から路線バスが、運行を開始しました。これが、「銀河線代替バス」です。
 平日の便数は、銀河線より1便多い9便で、祝・土・日曜日は7便です。
 陸別-足寄間はこれまでバス路線が無かったため、新設され、「帯広・陸別線」として十勝バスが営業に当たっています。新設停留所は既存路線がない足寄町愛冠-陸別町小利別間など計13カ所で、待合所には銀河線の駅舎も活用されています。また、車内トイレがないため、希望に応じて池田、足寄で休憩時間を取ります。本別-帯広駅前の所要時間は、通常の場合1時間45分で、運賃は片道1,120円です。( 2009年11月1日現在)
[PR]
b0171771_6345063.jpg
「本別空襲は北見が原因」
と言う文章がありましたので、紹介します。

平成19年3月1日発行の北見市の「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 です。

 『戦後になって聞いた話だが、本別の空襲(同日)《注1》は、北見が最初の目標だったそうだ。当日北見には霧が立ちこめていて、目標だったアルコール工場が見えず、それで本別方面へ向かった。もし、霧がなければ航空機燃料用アルコールを生産していた工場は爆撃にあっていたはずだ。米軍機が若松上空)《注2》を通過して飛んだのは、若松に住んでいた人たちが見ている。(中略)

 しかし、帯広の高校社会科教師で、民衆史研究家の蓑口一哲氏《注3》のホームページに「本別空襲」のコーナーがあり、そこに早坂トモエさんという方の証言があります。

 「当時17歳のトモエさんは、足寄町大誉地(およち)地区の自宅で米軍機の大軍を目にしている。/『朝食の時間ですから、午前6時30分ころだと思います。/普段から、飛行機の音は珍しくなかったのですが、いつもより大きな爆音に屋外に飛び出すと、日本軍とは明らかに違う、黒い色の飛行機が飛んでいました。/アメリカ軍機だったのですね。/雲が立ち込めていたのですが、そのうちの一機が急降下して、大誉地の集落を伺って行きました。/そのうち、何となく雷のような地響きのようなものが聞こえて来ました。今思うと、本別が襲われていたんですね。』/この飛行機の編隊は、北見方面から本別方面に飛んでいる。どのような航路を取ったのかの詳細は不明であるが、本別空襲に参加した編隊の一部と考えられる。」』

なお、「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 は、下記のURLで、ご覧にただけます。
http://www.city.kitami.lg.jp/650-03/139/nupunkesi139.htm

注1:「同日」とは昭和20年7月15日》
注2:「若松上空」とは、北見市若松地区を指します。》
注3:蓑口一哲氏は、現在本別高校で教職に就かれています。》

 1945年(昭和20年)7月15日午前8時20分ごろから約1時間にわたって行われた「本別空襲」は、一般的に、帯広を目標にした米軍の43機の攻撃隊が悪天候に妨げられ、帯広の攻撃を変更して、雲の切れ目から発見した本別町に攻撃を加えたといわれています。この空襲による被害は、死者40人、被災者1915人、家屋は279戸が全焼、113戸が大破。実に、本別町の市街地の約32%が、焼失しました。(写真


[PR]