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本別高校同窓会東京支部である「清流会」の総会が、6月)に行われます。

本別高校同窓会東京支部 「清流会」 第30回総会
◆日時:2010年6月26日(土)午後5時
◆会場:スクワール麹町(千代田区麹町6-6)
◆交通:JR中央線「四ッ谷」駅前

詳しくは、本別高校同窓会「清流会」公式ホームページ
URL…http://blog.livedoor.jp/nakaga0/

地図赤☆印…会場の「スクワール麹町」

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 2月11日(木)、NHKハイビジョンで『硫黄島からの手紙』が放送されます・
 第2次世界大戦時の最も悲劇的な戦いと言われる“硫黄島の戦い”を、日本側の視点から描いた戦争映画です。クリント・イーストウッド監督による『父親たちの星条旗』に続く、硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品です。
 劇中の栗林忠道中将の手紙は、彼の手紙を後にまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(栗林忠道・著 吉田津由子・編)に基づいています。硫黄島でアメリカ軍を悩ませた伝説の陸軍中将である栗林忠道と彼の部下たちによる死闘が描かれます。
 この映画での注目の一つは、渡辺謙が演じる栗林忠道陸軍中将とともに、伊原剛志演じるバロン西(西竹一陸軍中佐)が、実在の人物であり、本別にゆかりがあることです。ロサンゼルス五輪馬術で金メダルを獲得した西中佐は、本別町西仙美里にあった旧軍馬補充部に勤務していました。戦後もこの地域を「軍馬」と呼ぶ人が多くいました。
 映画の場面に、本別や軍馬補充部の場面が登場することはありませんが、西中佐の時代をこえた人となりが、見事に描かれています。
 現在、本別町歴史民俗資料館には、西中佐関連の品々が展示されています。

放送データ
チャンネル:NHK・ハイビジョン
放送日:2010年2月11日(木)
放送時間 :午後11:00~深夜1:25
〔監督〕クリント・イーストウッド
〔出演〕渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童、裕木奈江、松崎悠希、渡辺広、坂東工

《参考1:軍馬補充部十勝支部》
 明治42年に中川郡本別村(後に本別町)西仙美里に設置。用地面積は1万9800ヘクタール。昭和20年11月の陸軍省廃止に伴い用地は大蔵省に移された。昭和21年本別町西仙美里の土地は北海道立農業講習所(昭和49年から北海道立農業大学校)が取得し、足寄町鷲府にあった支部用地は昭和24年に九州大学が取得し北海道演習林として利用する。昭和63年には国鉄仙美里駅長の森弘が軍馬の鎮魂碑を建立した。西竹一(バロン西)が在籍(昭和14年3月-昭和15年8月)していたことも知られている。

《参考2:「硫黄島の戦い」》
 1944年8月グアム島をほぼ制圧し終えた米軍は、次の攻撃予定として、12月20日レイテ島上陸、1945年2月20日にルソン島もしくは3月1日に台湾上陸、との作戦計画を立案したが、台湾か沖縄かはこの時点では決定されていなかった。しかし、アメリカ太平洋艦隊司令部では既に1944年9月にスプールアンスの献策から、台湾攻略は補給の限界と日本本土への影響力行使の観点から、意味がないと判断した。
 レイテ攻略で、ほぼ日本海軍の戦闘能力はなくなり、台湾攻略の戦略的な価値が下がった上に、米陸軍も日本本土への戦略爆撃の効果から硫黄島攻略の意義を唱え、「硫黄島攻略後に沖縄上陸」という基本戦略が秋の日本本土上陸への前提としてアメリカ軍全体の方針となった。
 これを受けて、1945年2月19日にアメリカ海兵隊の硫黄島強襲が、空母機と艦艇の砲撃の支援のもと開始された。3月17日、激しい戦闘の後にアメリカ軍が島を制圧し、日本軍守備隊陣地の多くが壊滅した。3月21日に大本営は17日に玉砕したと発表。その後も、生き残りの日本兵からの散発的に抵抗は続き、3月26日、栗林忠道中将(戦闘終結直前に大将へ進級)以下300名余りが最後の攻撃で壊滅し、これにより組織的戦闘は終結した。
 日本軍に増援や救援の計画は当初よりなく、2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死した。これは損耗率にして96%にのぼる。一方、アメリカ軍は戦死6821名・戦傷2万1865名の計2万8686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った稀有な戦いであった。
出典: いずれもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地図赤☆印…硫黄島(いおうとう)
 硫黄島は、東京都小笠原村に属する東西8 km、南北4 kmの火山列島(硫黄列島)中最大の島です。現在は海上自衛隊管理の航空基地が設置され、全島がその基地の敷地とされているため、民間人および自衛隊員以外の公務員が島に立ち入ることは禁止されています。 小笠原諸島の父島からは300 km、本州、グアム島、南鳥島、沖縄本島から、それぞれ約1,200 kmから1,300 kmほぼ等距離に位置しています。

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 1月27日(水)、衛星映画劇場に、ばんえい競馬を描いた映画「 雪に願うこと」が登場します。
 鳴海章(なるみしょう)の人気小説「輓馬」(ばんば)を映画化したもので、厳冬の帯広を舞台に、ばんえい競馬の世界に生きる人々の人間模様と、そんな人々や馬との触れ合いを通して自分の再生の道を探ろうとする青年のかっとうを感動的に描き出しました。母と兄を故郷に捨てて、東京で一旗あげようとした弟・学。そんな学が十三年ぶりに故郷の帯広を訪れ、厩舎を営む兄のもとに姿を見せるのですが……。東京国際映画祭でグランプリを含む四冠を獲得。

チャンネル:NHK・BS2
放送日:2010年1月27日(水)
放送時間 :午後9:00~午後10:55(115分)
〔製作〕若杉正明
〔監督〕根岸吉太郎
〔原作〕鳴海章
〔脚本〕加藤正人
〔撮影〕町田博
〔音楽〕伊藤ゴロー
〔音楽プロデューサー〕佐々木次彦
〔出演〕伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子、吹石一恵、草笛光子、山﨑努 ほか

《参考:ばんえい競走》
ばんえい競走(ばんえいきょうそう)とは、競走馬がそりを曳きながら力と速さを争う競馬の競走である。世界で唯一、北海道でのみ行われている形態の競馬である。一般の平地競走で使われているサラブレッド系種などの「軽種馬」は使わず、古くから主に農耕馬として利用されてきた体重約800-1200kg前後の「ばんえい馬」(重種馬)が、騎手と重量物を積んだ鉄製のそりを曳き、2箇所の障害が設置された直線200mのセパレートコースで走力と持久力を競う。
帯広市が主催する地方競馬としての「ばんえい競馬」のほか、一部地域では「草ばんば」(後述)も行われるなど北海道が生み出した独自の馬文化として定着しており、それらを含めて「北海道遺産」に選定されたほか、ばんえい競馬を題材にした映画「雪に願うこと」も製作されるなど、注目度は高まりつつある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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「本別空襲は北見が原因」
と言う文章がありましたので、紹介します。

平成19年3月1日発行の北見市の「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 です。

 『戦後になって聞いた話だが、本別の空襲(同日)《注1》は、北見が最初の目標だったそうだ。当日北見には霧が立ちこめていて、目標だったアルコール工場が見えず、それで本別方面へ向かった。もし、霧がなければ航空機燃料用アルコールを生産していた工場は爆撃にあっていたはずだ。米軍機が若松上空)《注2》を通過して飛んだのは、若松に住んでいた人たちが見ている。(中略)

 しかし、帯広の高校社会科教師で、民衆史研究家の蓑口一哲氏《注3》のホームページに「本別空襲」のコーナーがあり、そこに早坂トモエさんという方の証言があります。

 「当時17歳のトモエさんは、足寄町大誉地(およち)地区の自宅で米軍機の大軍を目にしている。/『朝食の時間ですから、午前6時30分ころだと思います。/普段から、飛行機の音は珍しくなかったのですが、いつもより大きな爆音に屋外に飛び出すと、日本軍とは明らかに違う、黒い色の飛行機が飛んでいました。/アメリカ軍機だったのですね。/雲が立ち込めていたのですが、そのうちの一機が急降下して、大誉地の集落を伺って行きました。/そのうち、何となく雷のような地響きのようなものが聞こえて来ました。今思うと、本別が襲われていたんですね。』/この飛行機の編隊は、北見方面から本別方面に飛んでいる。どのような航路を取ったのかの詳細は不明であるが、本別空襲に参加した編隊の一部と考えられる。」』

なお、「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 は、下記のURLで、ご覧にただけます。
http://www.city.kitami.lg.jp/650-03/139/nupunkesi139.htm

注1:「同日」とは昭和20年7月15日》
注2:「若松上空」とは、北見市若松地区を指します。》
注3:蓑口一哲氏は、現在本別高校で教職に就かれています。》

 1945年(昭和20年)7月15日午前8時20分ごろから約1時間にわたって行われた「本別空襲」は、一般的に、帯広を目標にした米軍の43機の攻撃隊が悪天候に妨げられ、帯広の攻撃を変更して、雲の切れ目から発見した本別町に攻撃を加えたといわれています。この空襲による被害は、死者40人、被災者1915人、家屋は279戸が全焼、113戸が大破。実に、本別町の市街地の約32%が、焼失しました。(写真


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