カテゴリ:本別町の様子( 768 )

 1月9日(土)・10日(日)、帯広の森屋内スピードスケート場・明治北海道十勝オーバルで2010世界オールラウンド選手権大会アジア地区予選会・アジア距離別選手権大会帯広大会が行われます。
この大会は、国際スケート連盟、アジアスケート連盟が主催し、同スケート場初めての国際大会となるものです。
1日目/9日種目
 女子・男子500m、女子3,000m、男子5,000m
2日目/10日種目
 女子・男子1,500/1,000m、女子5,000m、男子10,000m
 6日までに帯広入りした各国選手団が、7日午前10時から公式練習を行いました。
 大会には、日本、中国、韓国、カザフスタンから選手41人が出場します。また、日本からはアジア地区予選に平子裕基(開西病院)、石澤志穂(岸本医科学研究所-駒大苫小牧高、中札内中出)ら五輪代表の7選手、距離別選手権に高木美帆(札内中)ら8人が出場します。このうち十勝関係の選手は8人になります。
b0171771_21475482.jpg

[PR]
 足寄町では、 「町農業後継者パートナー対策委員会」が、「婚活ツアー」を計画しています。
 2009年5月、町農業委員会やJAあしょろ、町などが中心なり、「町農業後継者パートナー対策委員会」を発足させました。
 2010年2月11日から2泊3日の日程で、初の「農業青年婚活ツアー」を行います。体験の予定は、牛乳豆腐づくりなどを用意し、「楽しく交流し、冬の十勝・足寄の魅力を知ってほしい」と独身女性の参加を呼び掛けています。
 ツアーはJR帯広駅集合・解散で、初日は帯広市内、2日目は町内の道立少年自然の家・ネイパルあしょろに宿泊します。農業、農村に関心のある20歳以上の独身女性(10人程度)が対象で、参加費は宿泊代込みで3,000円です。
[PR]
日本相撲協会が12月21日、初場所(1月場所)の新番付を発表しました。篠原は、序二段西101枚目に後退しました。篠原は、九州場所(11月場所)で序二段東31枚目まで昇進しました。しかし、故障によって場所を全休(7敗)してしまいました。
 序二段は、東西118枚目しかないので、奮起を期待したいところです。
 なお、初場所は、1月10日(日)~1月24日(日)の15日間、両国国技館において行われます。

 さて、北海道出身の「道産子」関取は、初場所の番付を見ると、やはり、十両の西5枚目に若天狼(根室市出身/間垣部屋)のたったの一人だけ。幕下では、東47枚目に錦風(にしきかぜ:尾車部屋)、そして,新しく篠原と同じ八角部屋で西57枚目に十勝海(とかちうみ) と1人増えて計2人になりました。道産子力士の活躍を期待したいと思います。
十勝海 絢翔(とかちうみ けんしょう)プロフィール
本名:今泉 絢翔
誕生日:昭和62年4月9日
出身地:北海道帯広市
b0171771_9282414.jpg
 
[PR]
髙木 美帆選手がバンクーバー五輪に 出場決定しました。
髙木選手は、1994年5月22日生まれの幕別町立札内中学校の3年生。 ジュニア特別強化選手として期待されていました。
長野・エムウエーブで行われたスピードスケートのバンクーバー冬季五輪代表選考会の女子1500メートルでは、この種目第一人者の小平奈緒(2位)、田畑真紀(3位)を押さえて堂々の優勝。髙木選手の強みは、以前の橋本聖子選手を思わせる、オールラウンドにわたって力があることです。
b0171771_8211158.jpg
なお、国際スケート連合(ISU)の出場資格では、五輪前年の6月末までに15歳になっていることが必要です。高木選手は1994年5月22日生まれで、この規定をクリアしています。前回トリノ五輪を前に、同じく15歳だったフィギュアスケートの浅田真央選手(19)は、誕生日が9月だったため出場できませんでした。

2009年12月31日付のスポーツ報知聞には、以下の記事が掲載されています。
 美帆に団体もまかせた!メダル最有力パシュート抜てき…Sスケート
 ◆スピードスケート バンクーバー冬季五輪代表選考会最終日(30日、長野市・エムウエーブ) 日本のメダル、みぽりんに任せた! 15歳7か月のスーパー中学生、高木美帆(北海道・札内中3年)が、日本スピードスケート史上最年少の五輪代表を決めた。4枠ある女子1500メートルで、エースの小平奈緒(23)=相沢病院=ら実力者を抑え優勝。1000メートル、1500メートルに加え、女子日本のメダル最有力種目、チームパシュート(団体追い抜き)のメンバーにも大抜てき。06年トリノ五輪のメダル「0」の雪辱は、高木に託された。
 仰天の選考結果だ。15歳での個人2種目での五輪代表入り自体が快挙だが、さらにメダル最有力種目のパシュートのメンバーにまで選ばれてしまった。
 3000メートル、1000メートルともに3位で迎えた最終日。1500メートルでの想定外の優勝で、逆転代表入りを決めた。同走した吉井が先行したが、最後のコーナーでブッチ切って0秒7差つけてゴール。国内最高記録に0秒17迫る1分59秒47。高木は「目標の(五輪派遣)標準記録の2分を切れたのがうれしい」とケロリとしたものだが、日本スケート連盟の鈴木恵一強化部長は「驚き桃の木山椒(さんしょう)の木だよ。だれがここまで想定できたのさ!?」と、のけぞってしまった。日本連盟の橋本聖子会長(45)も太鼓判だ。「まずラップタイムがほとんど落ちない。一番の魅力はコーナー出口の技術。世界の一流選手に匹敵する。遠心力を使いながらスピードを殺さず出て行くコーナリングはすごい」と絶賛した。
 1時間予定の選考会議は40分も延長された。会議では高木をパシュートに推す声が多かったという。団体追い抜きは、中長距離の各種目のエース格を結集させた総力戦だ。柱は持久力とスピードを兼ね備える1500メートル選手。エースは小平だが3種目に出場するため疲れが出る可能性もある。そのため、日本は今季のW杯前半戦では2位の実績があるが、石沢に代えて高木を大抜てき。3000メートル種目は、負担になると考え、補欠とすることを決めた。「これだけ走られたら選ばざるを得ないだろ」と、鈴木強化部長はメダル獲得の秘密兵器として高木をエース集団に加えたと話した。
 一番驚いたのは高木本人だ。「人生が変わりました。ここにくる前と一転した」と、大きな瞳をパチクリさせた。前回トリノのスピード陣のメダルは「0」と大惨敗。今回の目標は「メダル4個」。パシュートのほか、1000、1500メートルに出場する高木にも日本の命運が託された。実戦は昨年の世界ジュニア以来。年明け1月20日からのカナダ・カルガリーでの代表合宿から特訓を始める。大会前の意気込みは「なるようになる」。中学生離れした度胸も満点だ。「日の丸を背負うのは大きいこと。背負った上で自分の力を出したい」。競技は終盤。五輪の大トリで金メダルも十分、シンデレラの誕生なるか。
 ◆高木 美帆(たかぎ・みほ)1994年5月22日、北海道・中川郡幕別町生まれ。15歳。札内中3年。兄・大輔さん(19)、姉・菜那さん(17)とともに5歳からスケートを、小2からサッカーを始める。今年1月の全日本ジュニアで総合優勝、2月の世界ジュニア総合4位。趣味はヒップホップを踊ること。163センチ、57キロ。家族は父・愛徳(よしのり)さん(52)=会社員=、母・美佐子さん(47)と兄(日体大1年)、姉(帯広南商2年)はともにスケート部。
 ◆チームパシュート 2チームが3人1組で縦に並び、半周ずれた位置から同時スタート。1周400メートルのリンクを男子は3200メートル(8周)、女子は2400メートル(6周)し、相手を追い抜くか、先に最後尾の選手がゴールしたチームが勝ち。列の順序交代のタイミングや回数は自由で、空気抵抗の負担が大きい先頭の選手を入れ替えながら滑る。1チーム4人編成で試合ごとのメンバー変更が可能。前回のトリノ大会から導入され、日本女子は4位、男子は8位。女子は今季W杯で現在3位でメダル圏内。(引用:スポーツ報知)

【スピードスケ-ト女子オリンピック代表】
▽500m  小平奈緒(相沢病院)、吉井小百合(日本電産サンキョー)、新谷志保美(竹村製作所)、岡崎朋美(安武朋美/斜里郡清里町出身・釧路星園高出身/富士急行)
▽1000m 小平、吉井、岡崎、高木
▽1500m 田畑真紀(ダイチ)小平、吉井、高木
▽3000m 穂積雅子(ダイチ)、石沢志穂(中札内・中札内中学出身/岸本医科学研究所)、名取英理(十六銀行)
▽5000m 穂積、石沢
▽団体追い抜き 小平、高木、田畑、穂積

地図 赤☆印…札内中学校

[PR]
 12月5日(土)~6日(日)に江別市で行われたバレーボールの全道大会で、本別中央小は3位に入賞しました。
 本別小学校の女子バレーボールチーム「本別中央ジャンプスポーツ少年団」は、十勝地区代表として、江別市の北海道立野幌運動公園メインアリーナ・サブアリーナで行われた北海道スポーツ少年団バレーボール交流大会に出場。予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメントに進出。
★決勝トーナメント1回戦で、「北見チーム」と対戦し
  セットカウント2対1(18-21 21-15 21-12)
で逆転勝利。
★準決勝では、「釧路鳥取フェニックスバレーボールスポーツ少年団」と対戦し、
  セットカウント0対2(4-2114-21)で、
惜しくも敗れました。第1セットは、鳥取の攻撃の流れのままにセットを失いましたが、続く第2セットは本別中央がサービスエースなどでリードしました。しかし、中盤以降は、鳥取の攻撃力が勝り、逆転され勝利を手にすることができませんでした。
 しかし、全道大会で、堂々の3位。メンバーは、8日(火)、町役場を訪問し、高橋正夫町長と澤田満教育長に健闘の報告をしました。
 なお、優勝は、セットカウント2-0(22-20 21-10)で釧路鳥取を破った、「富良野小ジュニアスポーツ少年団」でした。
b0171771_23311645.jpg

[PR]
 本別高校の蓑口先生が、中国へ取材旅行に出発します。
 太平洋戦争における日本兵の玉砕をテーマに戦争資料をまとめている本別高校教諭の蓑口一哲さん(帯広市在住)が、12月28日(月)から13日間の日程で中国南西部の雲南省に滞在し、旧陸軍第56師団の足跡をたどります。渡航に先立ち、遺族や関係者らの証言を集めており、蓑口教諭は「北ビルマ(ミャンマー)に関する証言を参考にするため、ぜひ情報提供を」と呼び掛けています。
 蓑口教諭は、風化しつつある戦争体験を語り継ぐため、2002年からかつての戦場に赴き、体験者の証言に基づきながら戦争当時を追体験しつつ戦争資料をまとめています。すでに中東やアジアを中心に約30カ国を訪問し、今夏にはペリリュー島(パラオ共和国)でも戦争取材しました。
 今回の中国旅行は、昨年、ミャンマーで取材したインパール作戦に関係し、中国側に入った日本兵についての取材する計画と言います。

《参考:拉孟・騰越の戦い》
拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟・騰越地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した当初の1942年頃は中国軍に対して優位に立っていたが、援蒋ルート遮断後も空輸によって中国軍への支援が継続されたため、連合軍の指導によって近代的な兵力を身につけた中国軍が1944年より反撃に転じ、数に劣る日本軍は圧倒される。日本軍は補給路を断たれ孤立し、撤退命令も出ず、また救援部隊も送られなかったため、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕した。硫黄島などの孤島において玉砕したケースは多いが、この戦いは大陸において玉砕した珍しいケースとして知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[PR]
 11月30日(月)、「十勝地域づくり連携会議」の東十勝ブロック会議が、本別町体育館で開かれ、本別、足寄、陸別、池田、浦幌、豊頃6町の町長らが「道東道開通を見据えた観光戦略」について意見を交換しました。
 この日は関係6町長と竹林孝十勝支庁長、鎌田貢次帯開建部長が意見交換をして、道東道に関係する各町の現状や課題を述べ、東十勝における修学旅行誘致の促進やそれぞれの観光資源の活用策として、連携の重要性を確認しました。
[PR]
 11月24日(木)、高橋利勝副議長を委員長とする町議会活性化等調査特別委員会は、議員定数を現行15から3減の12とすることを決めました。
 この日の特別委員会で、高橋委員長が各委員の意見をまとめて、「3減が妥当」とする委員長案を提案し、採決の結果、賛成多数(賛成10、反対3)で可決しました。

  これに先立つ7月14日に発表された、町民アンケートでは、議員定数に関して、法定上限の「18人」を下回る現行定数「15」であることについて、「現状でよい」(62人、20%)、「増やすべき」(3人、1%)との回答が低調だったのに対し、「削減すべき」との回答は67%(206人)との多数でした。
 この206人うち、妥当な削減数が「3人以上」と回答したのは117人、「2人」は77人、「1人」は9人、「不明」3人と、現行の定数から大幅削減を望む声が多かった背景があります。
b0171771_9503620.jpg

 なお、現在の15人の町議会議員は2006年(平成18年)7月29日の選挙で当選し、任期は、同年8月10日~2010年(平成22年)8月9日の4年間となっています。
[PR]
 11月17日(火)、りくべつ宇宙地球科学館・銀河の森天文台(陸別町宇遠別)で、しし座流星群観望会が開かれました。残念ながら、この日の夜は,空が曇っていて流星群は観測できなかったため、しし座流星群の説明会で過ごしました。同天文台の筧伸浩主任が流星の成り立ちや、最近のしし座流星群の発生状況などを解説しました。
 しし座流星群は、多い時には1時間に数千個を超えるような流星嵐となる流星群です。
 今年2009年のしし座流星群は、2001年の流星嵐には及びませんが、11月18日の明け方の空が明るくなる直前の時間帯に、流星数が増加していくことが期待されていました。

 なお、同天文台では12月12日(土)・13日(日)の2日間、ふたご座流星群観望会を計画しています。12月中旬は三大流星群の1つふたご座流星群の季節です。今年は月明かりも少ない絶好の流れ星観察日和で、多ければ1時間に50個くらい流れると予想されています。

《参考:年間三大流星群》 「しぶんぎ座流星群」(毎年1月1日頃から1月5日頃に出現)、「ペルセウス座流星群」(7月20日頃から8月20日頃にかけて出現)と「ふたご座流星群」(12月5日頃から12月20日頃にかけて出現)の流星群です。
《参考:銀河の森天文台》 陸別町は、環境庁から昭和62年度に「星空の街」に選定され、さらに平成9年度には「星空にやさしい街10選」に認定されました。「りくべつ宇宙地球科学館(「愛称:銀河の森天文台)」はこの特性を活かし建設されたものです。公開型天文台としては日本一の115cm反射望遠鏡が設置され、屋上に小型望遠鏡4基・屋外に太陽観測専用望遠鏡などが設置されています。展示室ではパネル展・宇宙の体験学習ができます。(出典:どうしんウェッブ)

銀河の森天文台URL…http://www.rikubetsu.jp/tenmon/

地図 赤☆印…銀河の森天文台

[PR]
 「義経山」を再び観光名所に と、野田仁氏が会長を務める本別町観光協会は、現地調査を行いました。
 2003年(平成15年)の十勝沖地震により、義経山一帯では、岩や洞穴が部分的に崩れたり、その後の大雨により登山道が消失する事態に至っていました。
 私(ブログ作成者)は、小学生の頃、毎年のように、遠足で現在の「義経の里本別公園」である「夏川公園」に出かけ、途中で「弁慶洞」を覗いたり、先生から「あれが、義経山ですよ」と説明されたりしたことが思い出されます。当時、義経山と弁慶洞は、夏川公園に隣接し、本別唯一の観光スポットでした。
 今回は、野田会長ら理事のほか、高橋町長、砂原副町長、澤田教育長、義経山に詳しい町民有志や町歴史民俗資料館スタッフら約20人が参加して、大沼地先から平(たいらの)広場までの約2kmを歩き、登山道や観光資源の所在・現状を確認しました。その結果、部分的な崩落や落石も確認されました。しかし、登山道や展望施設からの眺望も良く、観光資源としての価値は充分との見解を出すに至りました。

《参考:「義経伝説不死伝説 」》
 後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、源義経北行説と呼んでいる。この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷の日高ピラトリ(現 北海道平取町)に義経神社が創建された。b0171771_048296.jpg
 義経の戦術は奇襲攻撃が多く、アイヌの人々の狩りのやり方によく似ていた。(中略)
 このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地(北海道)のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
 これに基づき、北海道の本別町では義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。現在では土砂崩れなどの危険もあり、弁慶洞については直接進入するのは難しいため、地上から見上げる形で観察することが出来る。

《参考:義経=ジンギスカン説》
 この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。
(以上 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
写真:本別公園に立つ源義経像
地図 赤☆印…義経山  青☆印…弁慶洞

[PR]