2014年 12月 18日 ( 2 )

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写真上:択捉島(1,585mの散布山,1,563mの北散布山)
b0171771_19025757.jpg写真下:択捉島地図
出典:いずれも,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%9E%E6%8D%89%E5%B3%B6

 73年前12月8日,日本は米国の真珠湾を攻撃し,4年間に及ぶ泥沼の太平洋戦争に突入しました。 出撃の地となった択捉(えとろふ)島の元島民 は当時とその後を振り返り,戦争にもてあそばれた年月の長さを痛感しています。
 芽室上美生中で11月25日に行われた「北方領土学習」では,元島民で帯広市に住む安田愛子さんが,「村は自然が豊かで,平和だった。」と1年生6人に語り掛けました。


 十勝毎日新聞が, 「真珠湾攻撃出撃の地,択捉島 記憶語り継ぐ元島民」 と伝えています。


 【十勝】73年前のきょう12月8日,日本は米国の真珠湾を攻撃し,4年間に及ぶ泥沼の太平洋戦争に突入した。出撃の地となった択捉島の元島民は当時とその後を振り返り,戦争にもてあそばれた年月の長さを痛感する。

 芽室上美生中で11月25日に行われた「北方領土学習」。元島民で帯広市に住む安田愛子さん(75)は1年生6人に語り掛けた。「村は自然が豊かで,平和だった。島を古里と決めた人たちは,明るい希望を持って生活していた」

 同島蘂取(しべとろ)村出身の安田さんの記憶にある島での暮らしは,つつましくも穏やかなものだった。秋になるとサケ漁の出稼ぎ労働者で活気づき,漁が終わればまた元の静けさに。小学校の運動会や村祭りが一番の娯楽で,大人も子供も一緒に楽しんだ。

 同島紗那(しゃな)村出身の帯広市在住,武田政子さん(81)は「生活は質素だが,食べるのには困らなかった」と振り返る。山に行けば山菜やコケモモなどがあり,畑では必要十分な野菜が取れた。秋には翌春までの米を買い付け,どこの家にも米俵が積んであった。「親は苦労していたかもしれないが,私自身は北海道に引き揚げるまでひもじい思いをした記憶がない」

 一方,静かな島の暮らしの中にも戦争は暗い影を落としていた。蘂取村出身の帯広市の和田政能さん(90)は高等小学校を卒業し,島内で営林署や逓信省などの仕事を手伝っていた1941年9月,家人から室蘭に行くよう命じられた。向かった先は日本製鋼所。徴用工として,大砲の砲身などを作る仕事が待っていた。

 同年11月,同島中部の単冠(ひとかっぷ)湾に空母6隻を含む連合艦隊の艦船30隻余りが集結した。この時,島内では通信が一切封鎖されたため,その艦隊が真珠湾に向かったことを終戦後に知った島民は少なくない。一方,戦果の知らせは直ちに届けられた。武田さんは,シンガポール陥落(42年2月)の祝いに,教師が子供たちにゴムまりを配ったことを鮮明に記憶している。

 ただ,間もなく訪れる戦況の悪化は隠しようもなかった。和田さんは「終戦の前年に休暇で島に帰ったら,村の近くの監視所に勤めているのが女子に代わっていた。室蘭でも作るものがなくなっていたし,もう戦争も長く続かないなと感じた」。

 そして終戦。豊かな島の暮らしが戻ってくるはずだったが,70年がたとうとする今もそれは実現していない。武田さんは言う。「引き揚げてからは生活がやっとで,島のことを思い出す暇もなかった。最近はようやく懐かしく思う余裕ができたが,今さら島が返ってきてもこの年では住めない。時間が,かかり過ぎた」

 和田さんは「日本が軍隊を持っていれば,もう少しロシアにものが言えたのかな。でも,戦争なんてしたくないし,してほしくもない。年も年だし,もう諦めの気持ちしかない」とこぼす。今年の夏,最後の墓参のつもりで島を訪れ,そこに眠る4人のきょうだいや親類に別れを告げた。

 1万7000人余りいた元島民も現在は7000人を切り,高齢化も進む。安田さんは管内ただ一人の語り部として,経験を語り継ぐ。安田さんは授業の最後に子供たちに訴えた。「美しく,資源豊かな宝の島北方領土は,島民だけのものではなく,日本国民全員の財産。一日も早くロシアと安定した友好関係が築けるよう,正しい知識と認識を持って勉強して」


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース/2014年12月8日 13時56分の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201412/20141208-0019867.php


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写真:とかち帯広空港=2014年1月撮影

 急速に発達した低気圧が北海道東にある影響で、十勝地方は16日午後から17日にかけて 大雪に見舞われ ました。
 17日はJR特急で始発から12本が運休、とかち帯広空港の東京線3便が欠航しました。各地で交通がまひし、ほとんどの学校が休校になりました。
 17日午前8時までの各地の24時間降雪量は、ぬかびら源泉郷と帯広空港で68cm、新得66cm、上士幌65cmなど。帯広でも60cmを記録しました。
 17日午後、幕別町で、木造の倉庫が倒壊し、中にいた74歳の女性が、倉庫の下敷きになって死亡しました。


 十勝毎日新聞が, 「十勝に大雪 交通まひ 帯広60センチ 新得66センチ」 と伝えています。


 【十勝】急速に発達した低気圧が北海道東にある影響で、十勝地方は16日午後から17日にかけて大雪に見舞われた。17日はJR特急で始発から12本が運休、とかち帯広空港の東京線3便が欠航した。各地で交通がまひし、ほとんどの学校が休校になった。18日にかけても風の強い状況が続く見込みで、引き続き交通障害や雪崩、屋根からの落雪などに注意が必要。

 17日午前8時までの各地の24時間降雪量は、ぬかびら源泉郷と帯広空港で68センチ、新得66センチ、上士幌65センチなど。帯広でも60センチを記録した。積雪は新得が69センチ、上士幌が63センチとなり、12月の1位の値を更新した。16日夕方から管内全域に出されていた大雪警報は、17日朝に解除された。沿岸には引き続き暴風・波浪警報が出ている。

 十勝総合振興局は17日午前9時半、災害対策十勝地方連絡本部を設置し、情報収集に当たっている。同局によると、国道274号の日勝峠が吹雪のため16日夜から通行止めとなっている。国道273号の三国峠も雪崩のため通行止め。その他に幕別大樹線(15号)など道道8路線で通行止めが続いている。道東自動車道も占冠-十勝清水間などで一時通行止めとなった。

 公共交通機関にも乱れが生じた。JRは特急スーパーとかち・おおぞらがいずれも、17日の始発から6号までの計12本が運休。根室線は釧路-富良野間で同日午後1時頃までの快速・普通合わせて36本が運休となった。空の便も同日朝のJAL1151、1152便とエア・ドゥ61便が運休。

 大雪と風で倒木が電線に接触した影響で、各地で停電も発生した。北海道電力帯広支店によると、17日午前0時以降、本別町で357戸、音更町駒場で46戸、浦幌町活平で19戸、幕別町忠類12戸、同町本町・幸町86戸、豊頃町統内62戸、広尾町豊似146戸、帯広市大正町で2戸が停電したが、市大正町を除いて正午までに復旧した。

 十勝教育局などによると、管内の小・中学校は148校中134校、その他に高校20校、養護学校など3校も休校となった。


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース/2014年12月17日 13時25分の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201412/20141217-0019929.php


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