2014年 05月 20日 ( 1 )

b0171771_08401059.jpg

写真:十勝毎日新聞本社ビル(2011年7月撮影)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8B%9D%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E

 静岡地裁で3月27日に再審開始が認められた 「袴田事件」で弁護団長の西嶋勝彦弁護士 が4月下旬,十勝毎日新聞社で講演しました。
 再審開始決定までの地道な弁護活動を振り返りながら,えん罪を生む司法制度の問題点などを語りました。


 十勝毎日新聞が, 「権力寄りの訴訟構造えん罪の温床 袴田事件弁護団長の西嶋氏講演」 と伝えています。


 静岡地裁で3月27日に再審開始が認められた「袴田事件」で,弁護団長の西嶋勝彦弁護士(73)=東京=が4月下旬,十勝毎日新聞社で講演した。再審開始決定までの地道な弁護活動を振り返りながら,えん罪を生む司法制度の問題点などを語った。(杉原尚勝)
   ◇--◇--◇
 48年前,静岡県清水市(現在の静岡市)でみそ製造会社の専務一家4人が刺され,金品が盗まれ,焼き殺されたのが袴田事件。元ボクサーで従業員の袴田巌さんが疑われ,警察に1カ月近くつけ回された末に逮捕された。捜査で袴田さんの部屋から血や油の痕跡があるパジャマが見つかった。検察側は袴田さんがパジャマ姿で被害者宅に侵入し,殺したと自白を取り,起訴した。

  ところが,裁判中,科警研がパジャマを鑑定し直すと血痕反応が出なかった。すると,裁判開始1年後にみそ工場のみそタンクの底から「5点の衣類」が出てきた。検察側は自白を取ったにもかかわらず,犯行時は5点の衣類を着ていていたと筋書きを変えた。

  結果的に裁判所は「衣類の自白は信用できないが,その他の点は信用できる」との支離滅裂な判断をした。さらに,有罪判決を書きながら,取り調べに問題もあったと捜査官を叱る妙な判決にもなった。怪しげな5点の衣類と取り調べ段階の自白が決め手になり,一審,二審,最高裁と最後まで死刑判決になった。


以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版 2014年05月16日09時45分の記事


参考:袴田事件

 袴田事件(はかまだじけん)とは、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定していた袴田 巖(はかまだ いわお、1936年3月10日 - )-元被告が判決の冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定(即時抗告が可能な期間は未確定)された事件。日本弁護士連合会が支援する再審事件である

事件および裁判経過[編集]
・1966年6月30日 - 「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」(「株式会社王こがね味噌」を経て1972年から株式会社富士見物産)専務の自宅が放火された。焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見される。一家の中では別棟に寝ていた19歳の長女が唯一生き残った。
・1966年7月4日 - 静岡県清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時「こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。
・1966年8月18日 - 静岡県警察が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
・1966年9月6日 - 犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。9日、静岡地検が強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴。
・1966年11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6


[PR]