2011年 09月 09日 ( 1 )

 8月30日(火)、大樹町で竪穴式住居に使われていたとみられる 炭化した木材の一部が発見 されました。
 場所は、町内の 晩成の沼「ホロカヤントー」 の南側で、この一帯には 擦文時代(7~13世紀ごろ) とみられる100以上の竪穴式住居跡が残っています。

地図 青☆印:晩成の沼「ホロカヤントー」

 十勝毎日新聞が、 「大樹で竪穴式住居の炭化材発見 焼失の証し」 と伝えています。
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【大樹】 大樹町晩成の沼「ホロカヤントー」の南側で竪穴式住居跡の発掘を進める東北大大学院の深澤百合子教授らが30日、同住居に使われていた木材の一部とみられる炭化材を発見した。深大樹町晩成の沼「ホロカヤントー」の南側で澤教授は「1000年前の擦文時代のものではないか。この竪穴式住居が焼失したという証しになる」と話している。

 同沼の東北岸には道指定史跡「十勝ホロカヤントー竪穴群」(1966年指定)として、擦文時代(7~13世紀ごろ)とみられる100以上の竪穴式住居跡が残っている。今回は同様の住居跡が数十ある同沼南側で、角が丸い一辺6~7メートルの四角形のくぼみから炭化材が見つかった。

 炭化材は長さ約90センチ、幅約20センチで、表面の一部が地上に現れている。露出部付近から枝分かれした、長さ約40センチ、幅約20センチの炭化材も確認されている。

 2000年から町内で発掘を続けている深澤教授は「一定の形を保った炭化材は珍しい。住んでいた人間が火災で家を失い、この場所から離れたことが推測できる」と話す。この住居跡から擦文式土器が発掘されていることから、約1000年前のものと推定した。

 大樹町教委によると、竪穴式住居の炭化材が確認されたのは町内で初めてとされ、十勝管内でも「浦幌で発見した例が幾つかある」(帯広百年記念館)程度という。

 深澤教授は95年、英国ケンブリッジ大で博士号を取得し、2000~03年に札幌国際大教授、06年からは東北大教授として学生とともに大樹で発掘を続けている。今年は学部生と院生を合わせた計11人が24日に来町し、9月2日に大樹を離れる予定。深澤教授は「今年はいったん埋め戻し、来年以降に発掘を継続する」と話している。(佐藤圭史)
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以上引用:十勝毎日新聞社ニュース2011年08月31日の記事
http://www.tokachimail.com/taiki/

参考:擦文時代
 擦文時代(さつもんじだい)とは、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて北海道を中心とする地域で擦文文化が栄えた時期である。本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする。後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。(詳細は「蝦夷#えみし」の項を参照)

 この時代、9世紀(平安時代前期)までは擦文文化と並行してこれとは異質なオホーツク文化が北海道北部から東部のオホーツク海沿岸に広がっており、その後13世紀(鎌倉時代後期)まではその系譜を継ぐトビニタイ文化が北海道東部にあって、擦文文化と隣り合っていた。トビニタイ文化はオホーツク文化に擦文文化が取り入れられたものだが、後期には擦文文化との違いが小さくなった。そこで、トビニタイ文化を擦文文化に含める考えがある。

文献史料 [編集]
 北海道の擦文時代は、道外の飛鳥時代から鎌倉時代後期にかけての時期に相当する。『日本書紀』にある7世紀後半(飛鳥時代)の阿倍比羅夫の航海をはじめとして、六国史には渡島(わたりしま)の蝦夷(えみし)との交渉記事が多数ある。渡島の所在をめぐってはこれまで諸説あったが、近年では北海道とみなしてよいとする意見が多い。もしその通りだとすると、渡島蝦夷は擦文文化の人々ということになる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%A6%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
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