2011年 07月 05日 ( 1 )

 7月10日(日)、「帯広空襲を語る会」が開かれます。
 帯広市総合体育館(大通北1)の前庭に「帯広空襲の碑」が建っています。碑の裏面には、「この付近一帯は昭和20年7月15日午後3時アメリカ軍の空爆にあい死者5名家屋の損壊59戸の被害をうけた 帯広市教育委員会」と記されています。
 今年も、「帯広空襲」を語り継いでいきます。

 十勝毎日新聞が、「帯広空襲を後世に 若い世代加え『語る会』30回へ」と伝えています。
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 太平洋戦争末期の1945年7月15日に起きた「帯広空襲」を次世代に伝える「帯広空襲を語る会」の活動が今年、30回の節目を迎える。毎年、戦争体験者らが集まり「あの日」を語り継いできた。体験者の高齢化は著しいが、数年前から30〜40代の小学校教員が活動を支えている。今年は7月10日に開かれる。
  
 これまで発刊した証言集を前に「多くの若者の参加を」と呼びかける吉澤さんら語る会は終戦から37年たった82年に始まった。教員たちによる北海道空襲の記録集「はまなすのかげで」刊行活動を機に元川西小校長の田邊勇さん(故人)、元高校教員の吉澤澄子さん(78)、元小学校教員の佐藤忠司さん(79)と鈴木幸吉さん(78)ら体験者が世話人となった。

 空襲の被害を受けた帯広市大通1の実家で今も暮らす吉澤さんは「空襲直後、被害世帯は憲兵の口封じに遭った。その後、広島、長崎の原爆や東京大空襲を子供たちに教えても、肝心な自身の体験は語ってこなかった」という。第1回では、空襲で3人の子供を亡くしたり、夫を失ったりした体験者ら28人が参加。「みんな堰(せき)を切ったように語り始めた」と吉澤さん。

 85年に体験者らが私費を投じ、市総合体育館前に「記念碑」を建立。その年に証言集の第1集を発刊、第4集まで刊行。2006年には世話人たちが、改めて体験者に被災戸数を聞き取りし、帯広市史に記載された「59戸」をはるかに上回る「122戸」に上ることを明らかにした。

 現在の世話人は6人。体験者ではない豊頃小教諭の青柳雅哉さん(47)、光南小教諭の西田智草さん(39)が数年前に加わった。幼い頃、母に連れられて語る会に参加したことがきっかけで手伝っている西田さんは「毎年7月15日に体験者の作文を授業で読ませている。悲しみの結果に自分たちがいることを戦争を知らない世代に伝えたい」と話す。

 語る会には近年、管内の高校生や小・中学生も積極的に参加しているという。吉澤さんは「間もなく戦後66年。語り継ぐことが難しい時代になったが、子供たちなりに真剣に聞いてくれる。われわれが話をしなくてはいけないということ」としみじみ語る。
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以上引用:十勝毎日新聞 2011年07月01日 14時16分
http://www.tokachi.co.jp/news/201107/20110701-0009664.php

地図:「帯広空襲の碑」(帯広市総合体育館前庭)

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