2011年 03月 13日 ( 1 )

 2月28日(月)、日本航空の主力中型機A300-600R が、18年7カ月余りの帯広-羽田線運航の歴史に幕を閉じました。
 日航は経営再建の一環として、搭乗率や燃費を改善するため機材の小型化を進めています。
 A300-600Rは、ヨーロッパ(欧州連合の内の4カ国)の国際協同会社のエアバス社製で、全長54m全幅45m全高16・5m、客席は290席でした。貨物を多く積めるのが特徴で、美しい機体から「空の女王」と呼ばれました。A300-600Rは、当初日本エアシステム(JAS)の機材で、JASの路線だったところを中心に飛んでいました。
 東京(羽田)-帯広線から2月末で退役し、今年度中に全ての路線から姿を消すことになりました。
 日航は2月以降、後継機として小型機ジェット機で マクドネル・ダグラス社製「MD90」(150席)、ボーイング社製「B737-800」(165席)の投入をしていきます。日本エアシステムが導入したMD-90型は、映画監督の黒澤明がデザインした7種類の虹色塗装のものであったが、日本航空との合併により現在では日本航空標準の塗装に変更されています。
 なお、機体重量は4割減となり、空港使用料の着陸料も下がる見込みです。

JAL羽田-帯広線時刻表日本航空時刻表より
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(上表2011年2月1日〜3月26日/下表2011年3月27日〜5月31日)
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《参考:エアバスA300-600R》
 エアバスA300-600/600R (Airbus A300-600/600R) とは、ヨーロッパ(欧州連合内の4カ国)の国際共同会社エアバス・インダストリー社 (Airbus S.A.S.) が開発したエアバスA300シリーズの最後のモデルとなった旅客機である。(写真日本航空 A300-600R型機)
概要 [編集]b0171771_2028304.jpg
 1984年に就航したA300-600は、同じくA300シリーズの名を名乗っていてもエアバスA300B2/B4に採用された3人乗務ではなく、航空機関士 (FE) が必要な、アナログ計器主体のシステムから、A310で採用され、その実績が認められた2人乗務機のグラスコックピットを採用した、全く新しいシステムの航空機として誕生した。
 1972年の初就航から大きく変化を遂げた、A300シリーズ。そのA300-600の最大離陸重量を増加させたモデルが、A300-600Rである。
 機体自体も、巡航時の空気抵抗を軽減させる、ウィングチップを主翼端に新設し、航続距離の延長の補助をしたり、複合材の使用量の増加、アビオニクス更新などを積極的に盛り込んだ結果、機体の重量軽減・座席の増加が可能になった。
 エアバス社では当時、200~300席クラスの旅客機でも、さらに航続距離の長いモデルも、各航空会社から要求があると判断し、A300-600の開発時点で、既にA310-300で実績のあった燃料系統システムを採用、水平尾翼内に、燃料タンクを増設した。
 A300-600Rの開発当時は、まだ双発機(エンジンが2基)の洋上飛行には、厳しい制限が課せられていた。十分な長距離飛行は理論上でも可能であったが、時代がそれを許さなかった。FAA(米国連邦航空局)と、JAA(欧州合同航空公団)が認可を行う、当時のETOPSというルールでは、双発旅客機のエンジン1基が何らかのトラブルで停止し、エンジン1基のみでの飛行する場合の、飛行可能な時間が定められていたのである。
(中略)
 1980年代は、ETOPSの規制緩和が進んでいた時代ではなく、当時のエアバス社がA300-600Rの航続距離の延長を1,000kmしか図らなかった。A300シリーズ旅客型最終号機が引き渡された先は、かつて日本に存在していた航空会社、日本エアシステム・JASの、『JA016D号機』である。2002年11月の事であった。
 こうして世代交代の波と共に、A300旅客型は生産終了となったが、現在でも世界中の空で、A300シリーズは活躍している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(写真も)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B9A300-600R
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