2010年 02月 06日 ( 1 )

 2月11日(木)、NHKハイビジョンで『硫黄島からの手紙』が放送されます・
 第2次世界大戦時の最も悲劇的な戦いと言われる“硫黄島の戦い”を、日本側の視点から描いた戦争映画です。クリント・イーストウッド監督による『父親たちの星条旗』に続く、硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品です。
 劇中の栗林忠道中将の手紙は、彼の手紙を後にまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(栗林忠道・著 吉田津由子・編)に基づいています。硫黄島でアメリカ軍を悩ませた伝説の陸軍中将である栗林忠道と彼の部下たちによる死闘が描かれます。
 この映画での注目の一つは、渡辺謙が演じる栗林忠道陸軍中将とともに、伊原剛志演じるバロン西(西竹一陸軍中佐)が、実在の人物であり、本別にゆかりがあることです。ロサンゼルス五輪馬術で金メダルを獲得した西中佐は、本別町西仙美里にあった旧軍馬補充部に勤務していました。戦後もこの地域を「軍馬」と呼ぶ人が多くいました。
 映画の場面に、本別や軍馬補充部の場面が登場することはありませんが、西中佐の時代をこえた人となりが、見事に描かれています。
 現在、本別町歴史民俗資料館には、西中佐関連の品々が展示されています。

放送データ
チャンネル:NHK・ハイビジョン
放送日:2010年2月11日(木)
放送時間 :午後11:00~深夜1:25
〔監督〕クリント・イーストウッド
〔出演〕渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童、裕木奈江、松崎悠希、渡辺広、坂東工

《参考1:軍馬補充部十勝支部》
 明治42年に中川郡本別村(後に本別町)西仙美里に設置。用地面積は1万9800ヘクタール。昭和20年11月の陸軍省廃止に伴い用地は大蔵省に移された。昭和21年本別町西仙美里の土地は北海道立農業講習所(昭和49年から北海道立農業大学校)が取得し、足寄町鷲府にあった支部用地は昭和24年に九州大学が取得し北海道演習林として利用する。昭和63年には国鉄仙美里駅長の森弘が軍馬の鎮魂碑を建立した。西竹一(バロン西)が在籍(昭和14年3月-昭和15年8月)していたことも知られている。

《参考2:「硫黄島の戦い」》
 1944年8月グアム島をほぼ制圧し終えた米軍は、次の攻撃予定として、12月20日レイテ島上陸、1945年2月20日にルソン島もしくは3月1日に台湾上陸、との作戦計画を立案したが、台湾か沖縄かはこの時点では決定されていなかった。しかし、アメリカ太平洋艦隊司令部では既に1944年9月にスプールアンスの献策から、台湾攻略は補給の限界と日本本土への影響力行使の観点から、意味がないと判断した。
 レイテ攻略で、ほぼ日本海軍の戦闘能力はなくなり、台湾攻略の戦略的な価値が下がった上に、米陸軍も日本本土への戦略爆撃の効果から硫黄島攻略の意義を唱え、「硫黄島攻略後に沖縄上陸」という基本戦略が秋の日本本土上陸への前提としてアメリカ軍全体の方針となった。
 これを受けて、1945年2月19日にアメリカ海兵隊の硫黄島強襲が、空母機と艦艇の砲撃の支援のもと開始された。3月17日、激しい戦闘の後にアメリカ軍が島を制圧し、日本軍守備隊陣地の多くが壊滅した。3月21日に大本営は17日に玉砕したと発表。その後も、生き残りの日本兵からの散発的に抵抗は続き、3月26日、栗林忠道中将(戦闘終結直前に大将へ進級)以下300名余りが最後の攻撃で壊滅し、これにより組織的戦闘は終結した。
 日本軍に増援や救援の計画は当初よりなく、2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死した。これは損耗率にして96%にのぼる。一方、アメリカ軍は戦死6821名・戦傷2万1865名の計2万8686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った稀有な戦いであった。
出典: いずれもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地図赤☆印…硫黄島(いおうとう)
 硫黄島は、東京都小笠原村に属する東西8 km、南北4 kmの火山列島(硫黄列島)中最大の島です。現在は海上自衛隊管理の航空基地が設置され、全島がその基地の敷地とされているため、民間人および自衛隊員以外の公務員が島に立ち入ることは禁止されています。 小笠原諸島の父島からは300 km、本州、グアム島、南鳥島、沖縄本島から、それぞれ約1,200 kmから1,300 kmほぼ等距離に位置しています。

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