2009年 11月 08日 ( 1 )

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「本別空襲は北見が原因」
と言う文章がありましたので、紹介します。

平成19年3月1日発行の北見市の「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 です。

 『戦後になって聞いた話だが、本別の空襲(同日)《注1》は、北見が最初の目標だったそうだ。当日北見には霧が立ちこめていて、目標だったアルコール工場が見えず、それで本別方面へ向かった。もし、霧がなければ航空機燃料用アルコールを生産していた工場は爆撃にあっていたはずだ。米軍機が若松上空)《注2》を通過して飛んだのは、若松に住んでいた人たちが見ている。(中略)

 しかし、帯広の高校社会科教師で、民衆史研究家の蓑口一哲氏《注3》のホームページに「本別空襲」のコーナーがあり、そこに早坂トモエさんという方の証言があります。

 「当時17歳のトモエさんは、足寄町大誉地(およち)地区の自宅で米軍機の大軍を目にしている。/『朝食の時間ですから、午前6時30分ころだと思います。/普段から、飛行機の音は珍しくなかったのですが、いつもより大きな爆音に屋外に飛び出すと、日本軍とは明らかに違う、黒い色の飛行機が飛んでいました。/アメリカ軍機だったのですね。/雲が立ち込めていたのですが、そのうちの一機が急降下して、大誉地の集落を伺って行きました。/そのうち、何となく雷のような地響きのようなものが聞こえて来ました。今思うと、本別が襲われていたんですね。』/この飛行機の編隊は、北見方面から本別方面に飛んでいる。どのような航路を取ったのかの詳細は不明であるが、本別空襲に参加した編隊の一部と考えられる。」』

なお、「市史編さんニュース」『ヌプンケシ』 №139 は、下記のURLで、ご覧にただけます。
http://www.city.kitami.lg.jp/650-03/139/nupunkesi139.htm

注1:「同日」とは昭和20年7月15日》
注2:「若松上空」とは、北見市若松地区を指します。》
注3:蓑口一哲氏は、現在本別高校で教職に就かれています。》

 1945年(昭和20年)7月15日午前8時20分ごろから約1時間にわたって行われた「本別空襲」は、一般的に、帯広を目標にした米軍の43機の攻撃隊が悪天候に妨げられ、帯広の攻撃を変更して、雲の切れ目から発見した本別町に攻撃を加えたといわれています。この空襲による被害は、死者40人、被災者1915人、家屋は279戸が全焼、113戸が大破。実に、本別町の市街地の約32%が、焼失しました。(写真


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