関寛斎の劇を陸別小教諭が創作

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関寛斎開拓地のジオラマ=2015年8月,関寛斎資料館で撮影

 陸別小学校の山口稔人教諭が,陸別開拓の祖, 関寛斎に関する劇を創作 し,学習発表会で披露しました。
 児童たちが開拓期などにタイムスリップし,そこで出会った関寛斎に「自立」と「共存」を学ぶストーリーです。
 山口教諭は,昨年の5年担任時から,総合的な学習の時間の一環で,地域を知る授業に取り組んできました。

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関寛斎像=2015年8月撮影

 十勝毎日新聞が, 「陸別小教諭が関寛斎の劇作 学習発表会で披露」 と伝えています。
 【陸別】陸別小学校(森雅仁校長,児童95人)の山口稔人教諭(28)が,陸別開拓の祖,関寛斎に関する劇作を手掛け,学習発表会で披露した。児童たちが開拓期などにタイムスリップし,そこで出会った関寛斎に「自立」と「共存」を学ぶユニークなストーリーだ。  山口教諭は「自分たちが住む場所の歴史を知ること。そして関寛斎の生きざまを表す自立と共存が,現代にも生きるキーワードとなるのでは」とし,昨年の5年担任時から,総合学習の一環で,地域を知る授業に取り組んできた。

 児童は関寛斎資料館(道の駅オーロラタウン93内)で調べた内容をかべ新聞にし,また,しばれフェスティバルでのパネル展示なども行ってきた。今回の6年生学習発表会(16日)は,2年越しの集大成となる。

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 あらすじは,「陸別のことを発表してほしい」という児童への依頼から始まり,ひょんなことから関寛斎の医師時代と開拓時代に案内されるという物語。開墾した土地は協力者に譲り,自立を促しながら差別をなくして共存していく姿が描かれる。現代に戻った児童たちは「あの人たちの活躍で今の生活がある」とし「自分の考えを持つ」ことが自立だと結んでいく。

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(木村仁根)

<関寛斎>
 1830年~1912年。上総国山辺郡中村(現千葉県東金市)に農家の長男として生まれる。33歳で徳島藩医になり,約40年にわたり医学の道に。理想を追い,72歳で陸別町の斗満に入植。無料診療を続け自作農育成に励んだ。82歳没。
以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2016年10月22日6時00分の記事

考:関 寛斎

 関 寛斎(せき かんさい、文政13年2月18日(1830年3月12日)-大正元年(1912年)10月15日)は、幕末から明治時代の蘭方医。

経歴[編集]
 1830年(文政13年)、上総国(現在の千葉県東金市)東中の農家の子として生まれる。養父の儒家関俊輔に薫陶され、長じて佐倉順天堂に入り、佐藤泰然に蘭医学を学び、26歳の時銚子で開業。豪商濱口梧陵の支援で長崎に遊学、オランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに最新の医学を学び、銚子を去って徳島藩の典医となる。戊辰役には官軍の奥羽出張病院長として、敵味方の別なく治療に当る。信ずるところあって徳島に帰り、一町医者として庶民の診療、種痘奉仕などに尽力し、「関大明神」と慕われる。
 1902年(明治35年)、72歳にして一念発起し、原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、1912年(大正元年)82歳にして服毒により自らの命を絶つ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AF%9B%E6%96%8E

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by hombetu | 2016-11-03 06:20 | 陸別町の様子 | Comments(0)