本別で空襲の日に合わせ戦没者慰霊祭

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写真:1945年7月15日、本別空襲で家屋279戸が全焼した

 7月15日、本別町主催の今年度の 戦没者・戦災死没者追悼式 が、本別町ふれあい交流館で開催されました。
 1945年(昭和20年)7月15日、第二次世界大戦の本別空襲があった日に合わせ、参列した遺族や町関係者ら約50人が冥福を祈り、平和への思いを新たにしました。


 十勝毎日新聞が, 「空襲の日に合わせ戦没者慰霊祭 本別 」 と伝えています。


 【本別】今年度の戦没者・戦災死没者追悼式(町主催)が15日、町ふれあい交流館で開かれた。第二次世界大戦の本別空襲(1945年7月15日)があった日に合わせ、参列した遺族や町関係者ら約50人が冥福を祈り、平和への思いを新たにした。

 本別では同空襲で40人が亡くなった他、日清、日露戦争の戦死者も含め339人が犠牲になった。

 追悼のサイレンに合わせて黙とうした後、高橋正夫町長が「今日の本別の繁栄と平和が、貴い犠牲の上にあることを忘れず、夢と誇りを持てるまちづくりに努める」と式辞。遺族ら参列者は祭壇に供花し、手を合わせた。

 参列した町遺族会の政木高治会長(74)は「高齢化や病気などで会員が減ってきている。戦争の記憶を孫の世代に伝えていくのが難しくなっている」と話していた。(鈴木裕之
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以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2014年07月15日11時56分の記事


参考:本別空襲

 <本別空襲>1945年(昭和20年)7月15日午前8時20分ごろから約1時間にわたって米軍機の激しい銃爆撃を受けた。本別町図書館編集の「記録 本別空襲」によると死者40人、被災者1915人、家屋は279戸が全焼、113戸が大破。市街地の約32%が焼失するなど十勝管内で最大の被害となった。帯広を目標にした米軍の43機の攻撃隊が悪天候に妨げられ、雲の切れ目から発見した本別町に攻撃を加えたという説が有力。
出展:記者が見た戦争1.「本別空襲」 -十勝毎日新聞より-
http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/06senseki/20060809/01.htm

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写真:会場の本別町ふれあい交流館/2014年1月撮影


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by hombetu | 2014-07-16 18:08 | 本別町の様子 | Comments(0)