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関寛斎の5代目の子孫が,陸別訪問

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関寛斎資料館(道の駅オーロラタウン93りくべつ)=2014年8月撮影

 7月20日, 陸別開拓の祖・ 関寛斎の5代目の直系子孫 に当たるショーン・オノさんが,初めて陸別を訪問し,寛斎ゆかりの施設や土地を巡りました。
 オノさんは,現在33歳で,米国ハワイに在住しています。

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関寛斎=2014年8月撮影

 十勝毎日新聞が, 「関寛斎から5代目の子孫が来町 陸別」 と伝えています。

 【陸別】陸別開拓の祖・関寛斎(1830~1912年)。その寛斎から数えて5代目の直系子孫に当たるショーン・オノさん(33)=米国ハワイ在住、ホテル勤務=が20日、初めて来町した。寛斎ゆかりの施設や土地を巡り「寛斎が陸別で愛されていることが分かった」と感銘を受けていた。

 祖母は寛斎の大きな写真を持っており、祖父からは寛斎の話を聞かされて育ったオノさんにとって「寛斎はずっと興味があり、ヒーローだった」という。当初、婚約者のスーミン・リーさん(31)とお忍びで来町する予定だったが、話を聞き付けた町教育委員会から野下純一教育長と大鳥居仁主任が案内役を買って出た。

 一行は初めに、道の駅オーロラタウン93りくべつ内にある関寛斎資料館を訪問。寛斎に詳しい陸別関寛翁顕彰会事務局幹事の斎藤省三さんから説明を受けた。オノさんの父政治さん(66)も30年ほど前に来町し斎藤さんに会っていたことを、写真を見ながら紹介されたオノさんは「父には陸別に行くことを伝えていたが、まさか父の30年前の写真に会うとは」と驚いていた。

 その後、陸別駅前多目的広場にある寛斎の銅像やトマム北2線17の埋葬の地、ポントマムなどゆかりの場所を訪れた。

 オノさんは「寛斎がこの地で愛されていることが分かり財産になった。斎藤さんらに会えて感動し、感謝したい」と話し、陸別を離れた。(菊池宗矩)
以上引用:十勝毎日新聞・陸別めーる=2013年07月23日の記事
http://www.tokachimail.com/rikubetsu/

考:関 寛斎
 関 寛斎(せき かんさい、文政13年2月18日(1830年3月12日)-大正元年(1912年)10月15日)は、幕末から明治時代の蘭方医。

経歴[編集]
 1830年(文政13年)、上総国(現在の千葉県東金市)東中の農家の子として生まれる。養父の儒家関俊輔に薫陶され、長じて佐倉順天堂に入り、佐藤泰然に蘭医学を学び、26歳の時銚子で開業。豪商濱口梧陵の支援で長崎に遊学、オランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに最新の医学を学び、銚子を去って徳島藩の典医となる。戊辰役には官軍の奥羽出張病院長として、敵味方の別なく治療に当る。信ずるところあって徳島に帰り、一町医者として庶民の診療、種痘奉仕などに尽力し、「関大明神」と慕われる。
 1902年(明治35年)、72歳にして一念発起し、原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、1912年(大正元年)82歳にして服毒により自らの命を絶つ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AF%9B%E6%96%8E

地図:赤☆印 関の出生地(現在の東金市)


地図:緑☆印 関の入植地(現在の陸別町)


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by hombetu | 2013-08-06 06:56 | 陸別町の様子 | Comments(0)