7月15日,今年度の本別町主催の
戦没者・戦災死没者追悼式 が,開かれました。
町では,終戦直前の1945年(昭和20年)7月15日の「本別空襲」で,航空母艦から飛来した米軍機によって,町内一円を爆弾と機銃で攻撃を受けました。その結果,赤ちゃんから成人まで40人が死亡し,中心部の3分の2が焼失するなど十勝最大の被害を受けました。
会場の本別町ふれあい交流館には,遺族や町関係者など約60人が参列し,戦争の犠牲になった339人の冥福を祈りました。
十勝毎日新聞,
「本別で戦没者戦災死没者追悼式」 と伝えています。
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【本別】今年度の戦没者・戦災死没者追悼式(町主催)が15日、町ふれあい交流館で開かれた。遺族や町関係者など約60人が参列し、戦争の犠牲になった339人の冥福を祈り、平和の誓いを新たにした。
本別では日清、日露、太平洋戦争で計299人が戦死。1945年7月15日の本別空襲では40人が亡くなり、十勝最大の犠牲者を出した。
追悼式は本別空襲の日に合わせて毎年行われている。全員で黙とうした後、高橋正夫町長が「悲惨な戦争を繰り返さない決意をすることが、今を生きる人たちに課せられ、尊霊に応える最大の責務」と式辞を述べた。
方川一郎町議会議長、粂田達一町社会福祉協議会会長、政木高治町遺族会会長らが追悼の言葉を述べ、参列者は白菊の花を祭壇に供えた。兄の小林吾平さんが西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島で戦死した内山ヤイ子さん(80)は「きょうは兄さんのことを思い出した。戦後68年、戦没者のおかげで平和に幸せに暮らせてありがたい」と話していた。(安田義教)
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以上引用:十勝毎日新聞・本別めーる 2013年07月17日の記事
http://www.tokachimail.com/honbetsu/
参考:「ゆう子の鈴
「ゆう子の鈴」は、幕別町在住で本別高校教諭だった荻原惠子さんが,s同校演劇部の生徒と作った台本を基に脚本化したもの。本別町内の塚谷圭介さんが,32枚の原画を描きました。