関寛斎没後100年で埋葬地周辺整備

 陸別開拓の祖関寛斎の没後100年に当たる今年、関寛翁顕彰会は、町トマム地区にある 寛斎の埋葬地周辺の環境整備  を進めています。

 十勝毎日新聞が、 「 関寛斎没後100年で環境整備」 と伝えています。
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【陸別】 陸別開拓の祖関寛斎の没後100年に当たる今年、関寛翁顕彰会(河本哲士会長)は、町トマム地区にある寛斎の埋葬地周辺の環境整備を進めている。埋葬の地の石碑に至る道を新たに「関の小径(仮称)」として整備し、関農場時代から残る厩舎(きゅうしゃ)を改修する。

 寛斎と妻のあいは、本人の遺志で自身が開いた農場が見渡せる丘の中腹に埋葬され、顕彰会が2006年に石碑を設けた。近くの町道から連絡する道がなかったため、顕彰会は埋葬地に至る約1キロを整備することにした。また、道の途中に寛斎が厩舎として使った建物があり、休憩や農業関係資料を展示する施設として活用する。

 1日は顕彰会の会員25人が作業に汗を流した。「関の小径」づくりでは、土地所有者の了解を得て重機で砂利をならし、道を固めた。石碑の周囲ではササなどの草を刈り取り、厩舎は内部にあった廃材などを取り除いた。今後は傾いた土台を取り替え、一部朽ちている壁を張って建物を復元する。

 没後100年に当たり、顕彰会や郷土研究会、町教育委員会は命日の10月15日に記念事業を行う。記念セミナーなどには道外からも研究者が埋葬の地を訪れるため、それまでに一帯の環境整備を終える計画。河本会長は「関先生が陸別で過ごしたのは10年と短いが、偉大な功績を残した。後世に伝え、埋葬の地を訪れる人たちをしっかり受け入れるためにも整備したい」と話している。

 関寛斎(せき・かんさい)
 1830年、上総(かずさ)国山辺郡(やまべぐん)東中村(現千葉県東金市)出身。佐倉順天堂、長崎伝習所でオランダ医学を学び、徳島藩主の侍医、町医者として40年間を過ごす。北海道開拓の理想を持ち、1902年に72歳の高齢で陸別町の斗満に入植し、自作農場づくりを始める。無料診療を続けながら自作農育成に励み、陸別町の礎を築いたが、入植から10年目の12年10月15日、服毒により82歳で自ら生涯を閉じた。
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以上引用:十勝毎日新聞社ニュース 2012年07月05日の記事
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=12325
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by hombetu | 2012-07-06 06:38 | 陸別町の様子 | Comments(0)