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十勝の私鉄に幕

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【参考写真】1924年(大正13年)頃。 明治製糖清水工場と甜菜荷降し中の(このすぐ後に河西鉄道となる)専用鉄道。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MeijiSeito-ShimizuKojo.jpg

 5月末、十勝鉄道は、JR貨物の帯広貨物駅から日本甜菜製糖芽室製糖所の約5.4kmで運行している 十勝最後の私鉄事業を終了 することになりました。
 帯広貨物駅まで砂糖などを輸送していましたが、6月以降はトラック輸送に切り替えるとのことです。

 十勝毎日新聞が、 「十勝鉄道廃路、私鉄の歴史に幕」 と伝えています。
 十勝鉄道(帯広市、大和田裕一社長)は、JR貨物の帯広貨物駅から日本甜菜製糖芽室製糖所の約5.4キロで運行している十勝最後の私鉄事業を5月末に終了することを、23日までに決めた。帯広貨物駅まで砂糖などを輸送していたが、6月以降はトラック輸送に切り替える。路線を共同利用していた日本オイルターミナル帯広営業所が5月末で廃止されることから、コスト増で路線維持が難しくなった。この路線の廃止で、十勝の私鉄の歴史に幕が下ろされることになった。

 十勝鉄道は日甜の100%子会社で1923年設立。同社の事業のほとんどはトラック輸送で、会社は存続する。鉄道は芽室製糖所製糖量の約10〜15%に当たる年間2万〜3万トンを輸送、ピーク時の80年ごろには約8万トンを運んでいた。

 同社の鉄道の歴史は日甜の前身「北海道製糖」が運搬専用路線を運用開始した21年にさかのぼる。23年に十勝鉄道に運行が移管され、24年には旅客輸送もスタート。最盛期の昭和初期には帯広大通から八千代や戸蔦、上美生行きの路線を運行した。

 26年の輸送人員は約8万6000人を数え、沿線住民からは「トテッポ」の愛称で親しまれた。その後、鉄道輸送から自動車輸送へと変わる時代の流れの中で、59年に旅客営業を終了。77年に帯広貨物駅−芽室製糖所間を除く全ての路線が廃止された。

-略-
十勝の私鉄
 十勝鉄道の他、清水、鹿追などで運行していた河西鉄道(1921年開業)、新得−上士幌間で営業していた北海道拓殖鉄道(28年開業)があった。46年には十勝鉄道が河西鉄道を吸収。道拓殖鉄道は68年に全路線を廃止した。十勝唯一の私鉄路線となった十勝鉄道の芽室製糖所線は、鉄道ファンからも人気を集めていた

以上引用:十勝毎日新聞社ニュース 2012年03月04日の記事
http://www.tokachi.co.jp/news/201205/20120523-0012633.php

参考:十勝鉄道
 十勝鉄道株式会社(とかちてつどう)は、日本甜菜製糖の子会社で、主にビートの取りまとめや、糖蜜の輸送などトラック輸送を主としている運送会社である。また、日本貨物鉄道(JR貨物)帯広貨物駅に接続する帯広市産業開発公社専用線及び日本甜菜製糖専用線の運営を委託されている会社である。そのほかに、不動産業も行っていた。地元では十鉄(じゅってつ)と呼ばれ親しまれている。本社は北海道帯広市稲田町南9線西13番地にある。

 かつては帯広市や清水町の軽便鉄道を運営していた鉄道会社であった。現在は一般の旅客や貨物を扱う鉄道会社ではないものの、社章と社名を掲げたディーゼル機関車で専用線を運行している。管理運営している専用線については「帯広貨物駅」を参照。

 近隣地域で鉄道を営業していた北海道拓殖バス(北海道拓殖鉄道)とは異なり、十勝バスとは何の関係も無い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8B%9D%E9%89%84%E9%81%93


by hombetu | 2012-05-24 05:20 | 帯広市の様子 | Comments(0)
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