十勝川温泉で、囲碁本因坊戦

 6月2日(木)・3日(金)、囲碁の本因坊戦が、十勝川温泉で行われます。
 囲碁の第66期本因坊決定戦七番勝負(毎日新聞社主催)は、北海道旭川市出身の本因坊道吾(どうわ)・山下敬吾九段(32)が挑戦者の羽根直樹九段に2連勝しています。
 第3局は、音更町の十勝川温泉第一ホテル (写真) を会場にして行われます。

◇山下 道吾(やましたどうご)本因坊
昭和53年9月6日生。北海道旭川市出身。
菊池康郎氏(緑星囲碁学園)に師事
平成5年入段、同年二段、7年三段、8年四段、9年五段、10年六段、12年七段、15年九段(棋聖獲得により)
日本棋院東京本院所属

◇羽根 直樹(はねなおき)九段
昭和51年8月14日生。三重県出身。
平成3年入段、同年二段、4年三段、同年四段、6年五段、8年六段、10年七段、12年八段、14年九段
羽根泰正九段は実父。羽根しげ子初段は夫人。
日本棋院中部総本部所属

参考:日本棋院「第66期 本因坊戦 挑戦手合七番勝負」
http://www.nihonkiin.or.jp/match/honinbo/066.html

写真 赤☆印 十勝川温泉・第一ホテル




参考:本因坊戦 創設 [編集]
 1939年(昭和14年)創設。毎日新聞社主催。最後の世襲本因坊二十一世本因坊秀哉名人は、本因坊の名は棋界随一の実力者が名乗るべきものであるという思いから、日本棋院に本因坊の名跡を譲り渡し、選手権制による本因坊戦「本因坊名跡争奪・全日本専門棋士選手権大手合」が行われることになった。囲碁におけるタイトル制度はこれが始まりであり、以後に始まる多くの棋戦のモデルとなった。
 なお、女流戦にも女流本因坊戦がある。
実施方式 [編集]
 第1-5期までは、2年で1期の開催。第6期から1年1期となる。この変更が、本因坊就位直後の橋本宇太郎率いる関西棋院独立の一因にもなった。
現在では、前年度の本因坊七番勝負敗退者と前年度のリーグ戦二位から四位までの4人に加え、予選トーナメントによって4人を選出し、計8名によるリーグ戦を行って挑戦者を決定する。リーグ戦の五位以下は陥落となり、翌年度は再び予選トーナメントからの参加になる。このため、入りやすいが陥落もしやすいという特徴があり、勝ち越しながら陥落した例が15回もある[1]。本因坊リーグは棋聖・名人リーグとともに三大リーグと呼ばれ、ここに参加することが一流棋士の証とされる。
リーグ戦の一位者はタイトル保持者と七番勝負を行い、優勝者を決める。七番勝負は全国の有名旅館・ホテルを舞台に、持ち時間各8時間、封じ手制による2日制で戦われる。
雅号 [編集]
 本因坊位獲得者は、本因坊名跡を継承する主旨で本因坊○○と名乗る慣例がある。当初は日本棋院から号を贈られていたが、本因坊薫和(岩本薫)以降、個人的に雅号を決める慣例ができた。雅号は多くの場合本名から一字を取り、もう一字と組み合わせる。もう一字としては、本因坊秀格(高川格)、本因坊秀芳(石田芳夫)のように本因坊家ゆかりの「秀」の字を用いるのが主流とされる。ただ中韓出身の林海峰や趙治勲は、実名を号としている。
 近年は号を名乗らない例が多くなっている。高尾紳路は当初、周囲から雅号を勧められても時期尚早として固辞しつづけ、3連覇を機にようやく「本因坊秀紳」を名乗った。また羽根直樹は本因坊奪取直後のテレビ出演で、実力や実績が伴っていないとして雅号を名乗らない考えを示している。
 なお、武宮正樹は初めての本因坊就位の際には「本因坊秀樹(しゅうじゅ)」を名乗ったが、二度目以降は「本因坊正樹(せいじゅ)」と号を変更している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2011年5月23日 (月) 11:44
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A
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by hombetu | 2011-05-31 05:52 | 十勝の町や村の様子 | Comments(0)