前埼玉西武の三井投手、「ごくろうさん会」

 4月10日(土)、埼玉西武ライオンズを引退した三井浩二さんを囲む「ごくろうさん会」が足寄町の「熊の子」で開かれました。会には、約40人が参加し、足寄後援会会長の安久津勝彦町長があいさつ。来賓で同後援会顧問の鈴木宗男衆院議員(代理)、三井さんと小・中の同級生でもある石川知裕衆院議員が労をねぎらいました。
 4月9日には、役場を訪問。安久津町長と懇談しました。
 三井投手は、町内初のプロ野球選手として昨シーズンまで埼玉西武ライオンズの投手として活躍し、3月末に現役を引退しました。足寄西小、足寄中、足寄高を経て1992年に社会人野球の新日鐵室蘭を経て、2001年に新日鐵広畑からドラフト2位で西武に入団しました。2002年にはオールスターゲームにも出場しました。通算成績は282試合で36勝20敗1セーブ、防御率4.45。

《参考:三井 浩二投手の情報》 b0171771_1058352.jpg
出身地 北海道足寄郡足寄町
生年月日 1973年9月15日
身長 184cm
体重 86kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト2位
初出場 2001年3月25日
最終出場 2009年8月6日

《三井浩二投手の経歴》
プロ入り前
 北海道足寄郡足寄町出身。小学校時代は2番手投手であった。北海道足寄高等学校3年時の1991年、プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースと競合の末福岡ダイエーホークスに4位指名されたが、「3位以上でなければ嫌だ」と言う理由で入団を拒否して社会人野球の新日鐵室蘭へ進んだ(後年の雑誌でのインタビューでは実力面の不安が理由と語っていた)。
 1994年に新日鐵グループの野球部の統廃合に伴って新日鐵広畑へ転籍、そこでチームのエースとして活躍した。
 2000年のプロ野球ドラフト会議において西武ライオンズを逆指名、2位指名で入団した。
プロ入り後
 2001年、プロ初勝利を含む3勝を記録。2002年、スクリューボールを習得。10勝を挙げ、初めて規定投球回に達して防御率リーグ5位の成績を残し、チームの優勝に貢献した。同年はオールスターゲームに出場。2003年は2年連続となる10勝以上を挙げたものの、防御率は5点台に低下。翌2004年は9試合に登板して2勝に終わった。2005年シーズン後半からリリーフ転向。
 2006年、石井貴に次ぐチーム2位のホールドを挙げた。45試合に登板し、防御率は年間通じて1点台、被本塁打は1本だった。2007年、自己最多の47試合に登板し、リーグ3位の27ホールドポイント、防御率2.22。2008年、4月26日の対オリックス戦においては、8回表4点リードの場面で登板して1イニングで5失点し、コーチの大久保博元がその裏の攻撃前の円陣で「三井が死んでしまう、みんなで助けよう」と発破をかける。その後一旦二軍落ちしたあと、8月26日の日本ハム戦で復帰し1イニング無失点とし、オリックス戦以外では無失点だった。
 2008年シーズン終了後、ポスティングシステムを利用する。西武でのポスティングシステム利用は3人目で、35歳での利用は史上最高齢であった。しかし期限までに入札を行う球団は現れず、2009年1月5日に再申請を申し出るが、入札を行う球団は無く、西武と再契約する。「入札されなかった選手が同一年度内に再度ポスティングシステムを利用すること」や、「2回続けて応札が無かったこと」は、共に史上初である。
 2009年10月2日に戦力外通告を受ける。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加した。
 2010年は東北楽天ゴールデンイーグルスの春季キャンプにテスト生として参加、3月4日には福岡ソフトバンクホークスの入団テストを受けたが、いずれも不合格となった。3月30日に現役引退を表明した。
プレースタイル
 ストレートの球速は平均140km/h前後とスピードは無いが、スライダー、スローカーブ、スクリュー、シュートと多彩な変化球を投げ分ける軟投派。

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写真:三井投手の実家近くの下足寄の効南地区会館前の三井投手を応援する掲示板。かつての三井投手の活躍を思い出させます。(2010年4月撮影)
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by hombetu | 2010-04-18 13:43 | 本別町の様子 | Comments(0)