陸別ユクエピラチャシ跡の紹介パンフレット完成

 陸別町教育委員会は、国指定の「史跡ユクエピラチャシ跡」を紹介するパンフレットを作製しました。三つ折りA4判で、写真や地図、年表で構成されています。
 パンフレットは、同史跡の特徴である白い火山灰で盛土を覆った「白いチャシ」の紹介ほか、園内のポイントなどで撮影した写真を使用している。
 同史跡は17世紀以前のアイヌ文化期の遺跡で、チャシ(アイヌ語で「柵」や「柵囲い」の意味)としては最大規模(7万3997.86平方メートル)。1975年に町と道の文化財指定、1987年に国の史跡に指定された。2002年からは文化庁の補助で保存整備事業が進められ、2009年に整備を終えました。

《参考:ユクエピラチャシ跡調査の概要》
調査地:足寄郡陸別町字トマム2
調査主体:陸別町教育委員会
調査期間:平成20年5月27日から10月24日まで
調査面積:172㎡(遺構整備)
 ユクエピラチャシ跡は、利別川の右岸、標高230~250m、河床との比高約45mの河成段丘上に立地する三郭連結式のチャシ跡です。崖面の崩落により遺跡の半分近くが消滅していますが、南北方向に約120mを測る大型のものです。遺跡は昭和62年に国史跡に指定されました。
 陸別町教育委員会は平成14年度から史跡整備事業に着手し、この事業の中で平成14~16年度に発掘調査を実施しました。発掘調査報告書は平成18年度に刊行しています。
 調査では3つの郭を北側からA・B・C郭、対応する壕をA・B・C壕と呼称しました。B・C郭内に柵列、溝状遺稿が確認されたほか、A・B・C郭外に大規模な盛土が存在し、その中にシカ骨を主体とする遺物集中のあることが確認されています。とくに郭外盛土は壕の堀上土に含まれる白色の火山灰を表面に盛っており、築造当初は美しい白いチャシ跡であったと考えられます。
北海道教育委員会市町村における発掘調査の概要(平成20年度)URL
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bns/maizou-h20-tokachi.htm

《参考:チャシ》
 チャシとは主に近世にアイヌが築造したある種の施設の名称である。
概要 チャシはアイヌ文化の中でも重要な位置を占めていると考えられているが、アイヌ族による文献史料が存在しない為、詳しいことは殆ど判っていないのが実情である。またチャシが研究対象となったのもアイヌ研究の歴史の中では新しく、河野常吉や河野広道による先駆的な研究を除くと、1973年以降に順次行われたチャシの分布調査が初めての本格的なチャシ調査であった。このような事情から、チャシについてはっきり言えることは現在でも驚くほど少ない。
 チャシの総数は不明であり、地名や伝承には残っているもののチャシの遺構は見つかっていないものも多い。1992年時点では526カ所のチャシコツ(チャシ跡)が確認されている。
 チャシの分布は東蝦夷地と呼ばれた道南、道東に多く、特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中している。これはシャクシャインの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。
チャシという語
 知里真志保によると、チャシとは山の上にあって割木の柵を巡らせた施設を指す語であるとされる。であるから、現在チャシというものは北海道には存在せず、正しくは「チャシの跡」という意味の「チャシコツ」というアイヌ語を使うべきであると指摘する研究者も存在する。かつてチャシが存在した場所が「チャシコツ」と呼ばれて地名となっている例は多い。
 かつて金田一京助はチャシをアイヌ語の「チ アシ(我々 立てる)」から来ているのではないかと主張し、中世の東北地方に数多く見られた館(たて・たち)と語源を同じくするのではないかと考えた。しかしチャシの原型を館に求める説は、アイヌ族を古代の蝦夷(えみし)の末裔と見る説の破綻とともに廃されて今日に至っている。前出の知里はチャシの語源は朝鮮語ではないかとも考えているが、はっきりした結論は出されないままとなった。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B7
地図赤☆印…陸別町トマム地区

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by hombetu | 2010-04-10 18:45 | 本別町の様子 | Comments(0)